『野櫻家の選択』 主な登場人物
ここで立ち止まったら、また元の主夫業生活に戻りそうだ
結局、和也が選んだのは、四谷駅から徒歩七分のところにあるシェアオフィスだった。コンシェルジュサービスがあり、会議室や打ち合わせスペースもある。もちろん登記も可能だ。光熱費や水道代も込みで月額八万。管理費は別に一万八千円。オープンスペースのデスクを使うとか半個室のブースならもっと安価なのだが、和也が望んだのは小さな個室タイプのものである。「個室でなければ嫌」と、そこだけは譲らない。
「仕事柄、個室でないと顧客の情報を守れないから」
言われてみればもっともである。資料なども置きっぱなしにできないし、個室でないと顧客にも信用されないだろう。
「だけど、広さの割に、ちょっと値段高すぎない? 窓もないし、息苦しいと思うけど」
パンフレットに個室の写真が映っている。自分なら閉じ込められる気がして落ち着かないだろう。大きな窓のあるオープンスペースの方が、仕事しやすいと思う。
「俺は全然平気。狭い方が落ち着くよ。仕事にも集中できると思う」
「まあ、和也がいいならそれでいいけど」
美紀はパンフレットにある保証金の額を見ていた。最初に二十万。什器などを揃えなくてもいいので、初期投資としては安上がりと考えるべきだろうか。
「明日の土曜日にいっしょに見に行って、美紀ちゃんもいいと思ったら、その場で『契約したい』と不動産屋に返事をするけど、いいかな?」
人気物件だから、早くしないと塞がってしまう、と不動産屋には言われたらしい。そんな風に客を急かすのは、あまり誠実なところという気がしない。
「ん、まあ、そうね。それもいいかもね」
それでも和也が乗り気になっているなら、契約を進めてもいい。事務所が決まれば、嫌でも起業について進めなければならない。和也は気分屋なので、ここで立ち止まったら、また元ののんびりした主夫業生活に戻りそうだ。
「とにかく、明日見てみなきゃね。勇斗も連れて、ついでにちょっと足を延ばして後楽園遊園地でも行ってみようか」
「あ、そうだ、勇斗の件」
和也がはっとした顔をする。
「勇斗の件がどうしたの?」
「俺が四谷に通うようになったら、勇斗は放課後どうすればいいんだろう?」