大手人材会社の営業企画部に所属している野櫻美紀。「仕事は大事、だけど家庭はもっと大事」をモットーとし、夫の和也、一人息子の勇斗とともに明るく穏やかな家庭を築いている。

夫婦ともに仕事も順調、家庭も順調、将来については何の不安もない――と思われていた野櫻家において、勇斗が小学校に入学する前後のタイミングで次々に試練が訪れ、家族の生活は思わぬ方向へ舵を切ることに。

その時、「チーム野櫻家」が下した決断とは――。

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『野櫻家の選択』 主な登場人物

◆野櫻美紀(のざくら みき) 三十六歳 /大手人材会社の営業企画部に所属。夫とは学生時代のゼミで知り合った。明るく前向き、大雑把。マイペース
◆野櫻和也(のざくら かずや) 三十七歳/大手住宅メーカーの人事部に在籍。おおらかで人当りが良さそうに見えて、実は神経質で小心
◆野櫻勇斗 (のざくら はやと) 六歳/保育園年長クラス。早生まれで小柄。性格は父親に似ておだやかで争いごとは嫌い

 その翌朝のことだった。

「美紀も早く支度しなさい。式に間に合わなくなるよ」

「まだ大丈夫。二時間以上あるし」

 年寄りの朝は早い。まだ七時前だというのに、すでに父と母は昨日自分たちで買ってきたパンとコーヒーで朝食をすませ、身支度もきっちり終えている。美紀の両親は孫の勇斗の卒園式を見るために、わざわざ静岡から上京してきた。美紀には妹が一人いて、地元の人間と結婚して親の近くに住んでいる。だが、まだ子どもはいない。なので、たったひとりの孫である勇斗のことが両親はかわいくてたまらないのだ。

「ほらほら、こぼさないでね。ミルクもっと飲む?」

 母は勇斗が食べる横で、つきっきりで世話を焼いている。父も反対側に座っている。

「今日は名前を呼ばれたら、大きな声で返事をするんだぞ。『野櫻勇斗くん』」

「はーい」

 勇斗が右手を挙げて返事をする。

「やめてください。まだ食事中じゃありませんか。返事の練習は終わってからにしてください」

 母が眉をひそめて注意する。

「ああ、すまん。だけど、待ちきれないねえ。『野櫻勇斗くん』」

 両親が勇斗のことをかわいがっている理由のひとつは、その名前にもある。野櫻というのは美紀の両親から受け継いだ姓なのだ。和也の旧姓は幹。なので、和也の方の姓を選択すると、美紀の名前は幹美紀になってしまう。字面は悪くないが、音は「みきみき」だ。

「そんな芸人みたいな名前になるくらいなら、結婚しない」

 美紀がそう言うと、和也は、

「じゃあ、僕が野櫻を名乗るよ。俺次男だし、野櫻って名前、かっこいいし」

 と、拍子抜けするくらいあっさり承諾した。まだ結婚は早いと言う美紀を、強引に説得したのは和也の方だった。なので、それくらいの譲歩はなんでもなかったらしい。

 しかし、和也の両親はそうはいかなかった。

「おまえを養子にやるつもりはない」

 和也の父は怒り狂った。

「別に養子にいくわけじゃないよ。戸籍上はとうさん、かあさんの子どもであることは変わらないし」

「名前が変わるってことは、幹家の家を継がないってことと同じだ。おまえはそれがわからないのか」

「そんな、大げさな。継ぐも何も、うちはそんな由緒ある家じゃないし」

「そんなこと言ったって、みっともないじゃないか。親戚連中がなんと言うか」

 和也の実家は練馬区の建売住宅に住んでいる。バブル期の前に買ったので、都内としてはゆとりのある敷地だが、静岡にある美紀の実家の方がずっと広い。

「そんなこと、誰も気にしないよ。第一うちには兄さんがいるじゃないか。家制度が生きてた時代でも、次男三男は家から出されて別の家の養子になったりしたんだろ?」

 和也の決意が固かったので、最終的には和也の親も納得せざるをえなかった。和也の母が誰かから『あんまり反対すると、息子夫婦が家に寄り付かなくなる』と忠告されたらしい。『あなたがたの好きにすればいいのよ』と、弱々しく微笑む和也の母の顔を見て、初めて申し訳なかったな、と美紀は思った。自分たちはどちらの名前を名乗ろうが大した問題ではないけれど、親の世代には納得しにくいことなのだろう。

 だけど、幹美紀だけは嫌。絶対に。

次ページから読める内容

  • 双方の実家が行事のたびにささやかなバトルを
  • 「げげっ、着物がマストなのね」
  • 「今日は保育園からまっすぐ会社に行くつもりだったのに」
  • 和やかな空気を壊すに忍びず…

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