時に迷い、立ち止まりながらも、自分流の働き方や幸せを模索している働くママたち。今回登場してもらうのは、ウェルネスライフサポート研究所代表の加倉井さおりさんです。保健師として、現在、社会人、大学1年生、中学3年生の3人の男の子の母親として、仕事と育児を両立させてきました。しかし、第3子出産後に実母が難病にかかり、介護によって好きだった職場を退職することに。そんな加倉井さんのこれまでの道のり、そして退職後、フリーランスを経て起業し、再度自分らしく仕事を続ける今について話してもらいました。

(上)0歳の長男の入院で退職覚悟した私を引き留めたもの
(下)介護退職で空虚に 無邪気な子の存在が再起を後押し ←今回はココ

◆今回登場するワーママ:加倉井さおりさん
年齢:52歳
これまでの仕事:保健師として、自治体が運営する健康増進を目的とした財団に勤務→フリーランス→起業
現職:ウェルネスライフサポート研究所 代表取締役
住まい:神奈川県
子ども:社会人、大学1年生、中学3年生の息子

◆働き方に迷った理由(後編)
難病になった実母の介護

◆「わたし流」の働き方をかなえるためにした選択(後編)
選んだもの…自分がやりたいと思った仕事
諦めたもの…安定した働き方

第3子の育児は景色が違った

 2児の母として子育てに奮闘しながら、保健師としてやりがいのある仕事をこなしてきた加倉井さん。35歳になり「人生でやり残していることはないか?」と自問自答したとき、頭に浮かんだのが「もう1人子どもを産み育てたい」という思いでした。


 「あと1人産みたい」思いを実現し、38歳で三男を妊娠しました。当時既にリーダー職になっていたので、産休直前までみっちり仕事がありましたが、上司や同僚、夫に支えられながら無事産休に入ることができました。

 育休中は実家の母も手伝いに来てくれ、久々のゆったりした時間を満喫しました。育児も3人目となると、親としても余裕があるし、お兄ちゃんたちも家事を手伝ってくれるようになっていて、子育ての景色が1人目・2人目の時とは違ってゆとりがあるんですよね。

 約1年後には職場復帰をし、3人の息子の育児と仕事との両立生活が始まりました。大変ながらもにぎやかで順調な生活が一変したのは、復帰した翌年の5月のこと。母が倒れたという知らせが届いたのです。

母の難病での二重のショック

 実家の両親は母が父より8歳年上で、当時父はまだ現役で働いていました。少し前から母の歩き方がふらふらしていたり、よく転んだりするなど、気掛かりはあったのですが、ある日父が仕事から帰宅すると、母が玄関に倒れていたというのです。どうも母は、宅配便を受け取った後、倒れて起き上がれなくなってしまったということでした。

 父が母を病院に連れて行くと、脊髄小脳変性症と診断されました。脊髄小脳変性症とは難病指定されている病気で、歩行時にふらついたり、口や舌がもつれたりするなどの運動失調症状をきたす病気です。

 母が倒れたことは娘としてもショックでしたが、それだけでなく、日ごろから食事の栄養バランスにも十分気を付け、日常的に運動にも取り組むなど、健康的なライフスタイルを送っていた母が、完治が難しい難病にかかってしまったことは、健康増進に取り組む私の職業観を揺るがす出来事でもありました。もちろん、生活習慣で防げる病気とそうでないものがあることは理屈では理解していましたが、まさにこうした事実を突き付けられたような感覚でした。

次ページから読める内容

  • 「母との時間が欲しい」と退職を決意
  • 母の記憶も、仕事も、収入も、何もない
  • 再度仕事に支えられる日々
  • 長男が社会人になった日、夫と乾杯をして感じた「ありがとう」

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