時に迷い、立ち止まりながらも、自分流の働き方や幸せを模索している働くママたち。今回登場してもらうのは、自ら立ち上げた国内唯一の病児障がい児専門医療ケアグッズとお見舞い品を販売するECマーケットプレイスを運営する石嶋瑞穂さんです。石嶋さんには以前にもDUAL記事、「自分、そして息子の病気『気づいてやれんでごめん』」「病児の親が直面する現状を変えたい 踏み出した一歩」で、病気や障がいがあっても、かわいい・かっこいいをあきらめないという「チャーミングケア」の概念を広げ、ECモールを立ち上げるまでのお話を伺いました。今回は、前向きに生きる姿勢につながったという、これまでの歩みについてです。

(前編)中2で父が蒸発「働かねばならない」から「働きたい」へ
(後編)小2で白血病 長男と生み出した共同プロジェクト ←今回はココ

◆今回登場するワーママ:石嶋瑞穂さん
年齢:44歳
これまでの仕事:絵画販売→アパレル販売員→人材紹介会社、ネットベンチャー企業などを数社経験→専業主婦→web制作分野で起業→一般社団法人チャーミングケア
現職:一般社団法人チャーミングケア代表理事
住まい:大阪府
子ども:13歳(中2)、11歳(小6)、10歳(小5)3人の男の子

◆働き方に迷った理由
生まれた長男の体が弱かったこと

◆「わたし流」の働き方をかなえるためにした選択
選んだもの…働くことによって得たかった家庭内での発言権
諦めたもの…諦めたものはない

 中2で父親が「蒸発」して以来、自分で高校の授業料を工面し、さらに奨学金とアルバイト代で大学に進学するなど、苦労を重ねてきた石嶋さん。29歳で見つかった「子宮頸(けい)部異形成(子宮頸がんの一歩手前)」の手術を経て、長男を出産。産後、病弱な長男を育てるため専業主婦になることを決めましたが、その後の生活でも試練は続いたと言います。

年子で3人の息子を出産、心も体も悲鳴をあげる

 もともと親になりたかったし、子どもも複数人持ちたいという願望を持っていました。自分の母親が自分もそうなりたいと思える母親像ではなかったので、子どもを持ったら自分が親からしてほしかったことを子どもにしてあげたい、子どもにとって唯一無二の信頼できる存在になりたいという思いを強く持っていました。その一方で自分の子宮の寿命はそれほど長くないだろうということも意識していたため、無理をしてでも急いで子どもを生みたいと思いました。長男の出産後も続けて2回年子の子どもを産み、3人の男の子の親になりました。

 自ら願ってのことだったとはいえ、上の子どもたちの面倒をみながらの3人連続の出産はさすがにきつかったです。朝起きてもスッキリした気分の日はなかったのですが、悲鳴をあげていたのは心だけではありませんでした。経過観察を行っていた子宮頸部異形成が再発し、3人目の出産後に再手術を受けました。

 3人の子育て、自分の再手術で体力も気力もほぼ限界でした。でも夫は仕事から帰ってくると椅子に座って箸が出て来るのを待つタイプ。もっと家事も育児も手伝ってほしい気持ちは山々でしたが、それを夫に伝えることはできませんでした。10代半ばから30歳まで目いっぱい働いてきたからこそ、専業主婦で金銭的な稼ぎのない自分には発言権がないと勝手に思い込んでしまっていたのです。

写真はイメージです
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次ページから読める内容

  • 自分が踏ん張らなければ家族が崩壊する
  • 入院で持てた息子との対話時間
  • 「10年、20年先を見ながら走る」姿勢が生きる
  • ボランティアは大事。でも収入の基盤を持つことはもっと大事

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