子どもが大人になったとき、幸せな人生を過ごしてほしいと誰もが願うでしょう。中でも「仕事」は人生を大きく左右する要素です。高い壁にぶつかったとき、大きな挫折を味わったとき、どうやって向き合い、乗り越えてきたのか。そんな“親の背中”を見せることが、子どもの仕事観を育むのではないでしょうか。ビジネスやスポーツの分野の最前線で活躍する親たちに、その紆余曲折や七転八倒の体験、そして「子どもに伝えたい仕事哲学」「確かに伝わった瞬間」について語ってもらいます。

リニューアル第1号となる「子に伝える それでも、仕事が好き。」特集。第2回に登場するのは、コカ・コーラ ボトラーズジャパンの執行役員、荷堂真紀さん。IT企業で働く夫と共に2男3女を育てながら、4度の転職を経験。働く母としての思いと、七転び八起きのキャリアヒストリーを聞きました。

日曜夜のサザエさんの音楽は、月曜へのファンファーレ

 「体がいくつあっても足りないんですよ~!」

 取材の部屋に駆け込んでくるなり、あはは!と笑いながらそう口にした荷堂真紀さん。コカ・コーラ ボトラーズジャパンの執行役員として、調達部門や経営補佐など4つの部門を束ねる。波瀾万丈なキャリアを通じて一貫しているのは、「仕事が好き!」という思いだ。

 「よく、『日曜夜のサザエさんの音楽を聴くと、月曜からの仕事を思って憂鬱になる』という話を聞きますよね。でも、私にとってあの音楽は、ファンファーレなんです。月曜からの仕事が楽しみでしかたない。

 コカ・コーラという歴史あるブランドに携われるのは大きな喜び。そして、この会社が将来も消費者の方に素晴らしい商品を提供し続けるための方法を考えるのが私のミッションです。こんなチャンスは一生に一度しかないと思うと、毎日ワクワクすることばかりです」

荷堂真紀さん/コカ・コーラ ボトラーズジャパン執行役員。香川大学在学中に結婚。1992年に卒業後、日本電気に入社し、エンジニアとして航空自衛隊向けのシステムを構築。96年、海外キャラクターの版権を扱う企業に転職。2000年マイクロソフト入社、派遣社員から正社員に。04年から米国本社勤務。セールスフォース・ドットコムを経て、14年にコカ・コーラ イーストジャパン入社、15年にコカ・コーラ ビジネスソーシング代表取締役社長。17年から現職。
荷堂真紀さん/コカ・コーラ ボトラーズジャパン執行役員。香川大学在学中に結婚。1992年に卒業後、日本電気に入社し、エンジニアとして航空自衛隊向けのシステムを構築。96年、海外キャラクターの版権を扱う企業に転職。2000年マイクロソフト入社、派遣社員から正社員に。04年から米国本社勤務。セールスフォース・ドットコムを経て、14年にコカ・コーラ イーストジャパン入社、15年にコカ・コーラ ビジネスソーシング代表取締役社長。17年から現職。

 「もちろん、仕事で難しい局面に差し掛かったことや、精神的に追い詰められた経験はこれまで数えきれないほどあります。でも、仕事が嫌だと思ったことは一度もないんですよ。学生時代からアルバイト代で学費を払っていましたし、私の両親も共働きでしたから、『子育てしながら働く』ことは、私にとって当たり前だったんです」

 荷堂さんの実家は広島で、夫の両親も頼れなかった。上の子どもたちの出産時は育休制度も整っておらず、生後2カ月から保育園に預けた。下の子どもたちはベビーシッターや無認可保育所での保育を経験。「ママ、仕事に行かないで」と、ヤダヤダされた経験はあるかと聞くと、

 「そりゃもう、何百回も何千回も! 例えば、保育園で子どもを先生に預け、柵をまたいで保育スペースの外に出ようとすると、上げた足にギューッとしがみついて『行かないで~』と言われたり。朝ごはんを食べているときにわざとジュースをこぼしてみたり、保育園に行きたくないと言ってあっちこっち逃げ回ったり……。朝の忙しい時間に限って、ありとあらゆる方法で親の気を引き、仕事に行かせまいとしていましたね」。

 そんなとき、荷堂さんはどうやって子どもたちに仕事のことを伝えていたのだろう。