物事が変化し続け、不確実性が高まるばかりの社会において、「何を軸に子育てすればいいのか」と迷っている人は少なくありません。しかし、そんな中でも、それぞれの分野で新しい境地を切り開き、活躍しているリーダーたちは、確固たるポリシーを持ち、「ぶれない子育て」を実践しています。金融・生命科学・教育・医学などの分野で活躍する5人の女性リーダーに、子育てで大事にしていることや、キャリアとのバランスなどについて聞きました。世の中がどう変わろうとも道を切り開いていけるタフな子どもを育てるヒントが、きっと見つかるはずです。

娘の自立を感じたのは、12歳のときだった

 「自立した子に育ってほしい」というのは、多くの親の共通した思いではないでしょうか。自立の時期は、その子によってさまざまですが、広島県教育委員会教育長の平川理恵さんにとって、それは、娘さんが12歳の頃だったといいます。

 「娘が小6、12歳のとき、突然『マレーシアの中学に行きたい』と言われました。都内で行きたい中学を探しても本人はピンとこなかったようで、親子で海外の知人を訪ねた際に訪れた、自由でさまざまな人種の生徒がいる学校に通いたい、と言うのです。私は仕事があるから行けないよ、と言うと、『別にママは来なくてもいいから、お金だけ送ってほしい』と言われて。留学という目標に向け、自力で先生を探してきて、1年かけて苦手な英語を克服していく娘を見て、『もうこの子は、私がいなくても大丈夫なんだろうな』と思いました」

 娘が幼い頃から、自分の人生は自分で選び取れるような子になってほしいと思って子育てをしてきたという平川さん。しかし、突然の自立に、「正直言って、早過ぎるよ、もうちょっと子育てをさせてほしいな、という気持ちもあった」と苦笑します。

 平川さんは大学卒業後にリクルートに入社し、在籍中に米国でMBAを取得。帰国後はリクルートを退社し、海外留学を支援する仲介会社を設立。その後、娘さんを出産しました。2010年に全国初の女性の公立中学校民間人校長として、横浜市立市ヶ尾中学校に着任し、2018年には、広島県教育委員会の教育長に就任。現場主義を掲げ、年間150校程の学校を訪問し、子どもたちに求められる学校づくりにまい進しています。広島県が進める「学びの変革」の先導的役割をもつ国際バカロレア認定校(広島県立広島叡智学園)の運営を軌道に乗せたり、教育委員会内に不登校支援センターを設置したりするなどの教育改革を実践してきました。

 娘さんは、幼い頃から自立心が強く、自分で人生を選び取り、一度決めたことはやり抜くタイプだったといいますが、親である平川さん自身も、「親として、『主体的に動ける子』になるような子育てを意識してきた」と語ります。

 次のページから、平川さんが実践してきた、少し型破りな子育てに迫ります。

■平川理恵さんが実践してきた「型破りな子育て」
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Q 子どもを子ども扱いせず、4歳から誕生日会を自分で企画させた理由と結果は?
Q 小2まで「通信教育による勉強を禁止」とした理由は?
Q 最初に応募した民間校長を辞退するきっかけになった、わが子の意見とは?
Q 学校の先生に叱られても、納得できる理由があるならわが子を否定しないという平川さんが、「これだけは」と伝えてきたこととは?