
日本のろう学校は長年、口の動きを読む「聴覚口話法」で教育を行ってきました。「聞こえない」次男を授かった玉田さとみさんは「口話」による教育がコミュニケーションを阻んでいるのでは、と疑問を抱き、大変な苦労の末、仲間とともに2008年「日本手話と、日本語での読み書きの“バイリンガル”教育」を行う「明晴学園」を開校させました。明晴学園から都立高校に進み、野球部のレギュラーとして強豪校と戦った息子の宙(ひろ)くんは「聞こえなくても、できる」を証明し続けています。聞こえない子どもたちのチャレンジは、授業を文字表示で正しく伝えるなどの学習支援があってこそ可能です。2016年4月の「障害者差別解消法」施行は、後押しになるでしょうか?(写真・文=阿部祐子)
「健常者に近づけよう」とする教育がコミュニケーションを阻む
「日本のろう学校では昭和8年からは手話を禁止し、口パクで教育を行ってきました。子どもたちが授業中に手話で話すと、手を叩かれたり手を縛られたりすることもあったのです」。
日本手話と日本語の読み書きによる学校設立を目指していた玉田さんは、各地で「一分間プレゼン」と自らネーミングしたプレゼンでこう語りかけて賛同する仲間を増やし、2008年、約10年がかりで学校設立を実現しました。

バイリンガル・バイカルチュラルろう教育センター(BEED)事業統括ディレクター。
BEEDウェブサイト http://www.bbed.org/
玉田さんと「聞こえない」子どもたちへの教育との出合いは、生まれつき耳が聞こえない次男の宙くんを授かり、教育を考えるにあたって、ろう学校を見学したときの衝撃からはじまります。
「日本のろう学校は『手話を使わない』が基本方針。手話を使うと日本語を覚えられなくなるから、が理由です。学校では聴覚口話法という、話す人の口の形を読み取って言葉を理解し、自分の声が聞こえない子どもに、聞こえる子どもと同じように発音させる訓練をします」
聴覚口話法で算数の授業が行われていました。「リンゴが3個あります。1個食べたらいくつ残るでしょう」という問題です。ところが先生は「リンゴ」という単語を一人ひとりに発音させ、それだけで授業の大半が終わってしまいました。肝心の計算には行き着いていません。
テレビの音声を消して、口の動きだけで会話を読み取ろうとすると、とても難しいように、人の口だけで会話を推測するのは、簡単なことではありません。
調べていくうちに、口話法の訓練をしても話の内容を正確に読み取ることは難しく、それだけではコミュニケートする能力を十分に身につけることができないこともある、大人になってからも意思の疎通がうまくいかなかったり、「聞こえる」人とのトラブルの原因になったりするケースもある、といったことがわかってきました。
形だけを「聞こえる人」に近づける教育でいいのだろうか? 玉田さんの心に疑問が芽生えていきます。
文法のある「日本手話」は、目でコミュニケートする表情豊かな言語
聞こえない子についての情報がない中、わが子と「会話」がしたいという一心で情報を求め、玉田さんが出合ったのが「日本手話」でした。
日本の手話には2つの種類があります。一つは「日本語対応手話」といい、日本語を手や指で表したものです。昭和40年代につくられました。もう一方は手だけでなく、まゆ、あごの動き、視線などを使って表現する「日本手話」で、明治初期から、ろう者の間で使われてきました。日本語とは異なる文法です。
手話による子育てで宙くんが玉田さんに最初に語ってくれた言葉が、人差し指で軽くほおに触れ、小指を立てる「おかあさん」でした。
宙くんの子育てをしながら、玉田さんは「この子は『聞こえない』子でなく『目の人』なんだ」と感じるようになります。
宙くんは当時、の団地の一室で開催されていた手話で教育をするフリースクール「龍の子学園」(後のBEED)に参加していました。手話での会話は「親が嫉妬してしまうくらい」じっとアイキャッチをしあい、お互いの意思を伝えます。表情、手の上げ下げの一つひとつが、意味を持った「言語」なのです。

これほど密なコミュニケートができる手話が、教育で使われないのはやっぱりおかしい。玉田さんたちは「せめて希望した人だけにでも、ろう学校で手話を教えてほしい」と東京都の教育委員会、文部科学省に訴えました。しかし願いは叶いませんでした。
一進一退。最後は石原都知事への“直訴”で学校創立へ
2003年、当時政府が進めていた規制緩和「構造改革特別区域」で「特別なニーズに対応した教育を行うNPOの学校設置が認められる」というニュースが飛び込んできます。
聞こえない子どもたちは「特別なニーズ」に当てはまるのでは? そう考えた玉田さんたち保護者は提案書を作って動き始めましたが、なかなか受け入れられませんでした。
日弁連を通じて文部科学省に提出した、聞こえない子どもたちと保護者100人以上による「人権救済申立書」が功を奏したこともあり、2005年「特別なニーズ」の中に「ろう児に対する手話と書記日本語による教育」がやっと入りました。
しかし、今度は肝心の「特区を受け入れてくれる自治体」が見つからない、という壁にぶつかりました。
諦めかけたとき、当時の石原都知事との「都民の会」があることを知ります。玉田さんは会場に足を運び、各地で何百回と繰り返した「1分間プレゼン」で手短に、聞こえない子への教育の現状、自治体との交渉が難航していることを訴えます。
知事は「日本のろう学校は、なぜそんなに効率の悪いことをしているのだ?」と感想を漏らしました。この直訴がきっかけになり、新しい学校設立が大きく一歩前進。東京都が内閣府に申請を行うことで、2007年「手話と日本語の読み書きによる教育特区」が認定されました。
寄付の総額1億1000万円。応援団とともに創り上げた「明晴学園」

「学校」の設立には、さらに大変な作業が待っていました。3年先までの財務計画書は企業で財務の仕事をしている人にボランティアで依頼、教育課程は東京都教育委員会の協力で、校舎は品川区から廃校になった小学校を借りて・・・。
準備が整った後、最後の壁は「学校法人の申請にかかる4500万円をどうするか」でした。
「すべてをやりました」と玉田さん。街頭募金はもちろん、チラシを2000件にポスティング、寄付をお願いする手書きの手紙を4000通、100社以上の企業に電話してアポを取り、足を運んで寄付のお願い・・・。
ウェブサイト、ブログ、クラウドファウンディングも含めて支援を募った結果、賛同者がどんどん増えていきました。寄付は目標額に達し、2008年4月、品川区の臨海部に「明晴学園」幼稚部と小学部が開校しました。

支援の輪は広がり続け、最終的には、総額1億1000万円が集まったのです。2010年には中等部も開設することができました。
「学校の作り方なんて、だれも知りませんでした。でも気づくとまわりに、さまざまな『応援団』ができていたんです」と玉田さんは言います
「最近では、日本語対応手話を使う公立ろう学校が増えてきました。しかし、手話という教科(授業)はありません。明晴学園は、『日本手話を学び、日本手話で学ぶ』学校です。日本手話を教科として教えるからこそ、国語(日本語)も英語も、算数も社会も、しっかりと理解できるのです。教職員の半数がろう者なのも特徴です」(玉田さん)。
甲子園を目指す。海外を一人旅する。「聞こえる人」の世界での宙くんのチャレンジ
「明晴学園」の第一期生として中等部を卒業した玉田さんの次男、宙くんは野球少年。ろう学校の高等部への進学も考えましたが、ろう学校には「危険だから」という理由で硬式野球部がありません。「仲間と一緒に進学するか、甲子園の夢に賭けるか」で宙くんが選んだのは「普通高校で野球部に入り、甲子園を目指す」ことでした。
聞こえない子どもが「聞こえる」世界に入るのは勇気の要ることです。しかも「ろう者に硬式野球はできない」という理由で2校の私立高校からは入学を断られました。
入学した都立高校で硬式野球部に入部。最初はチームメイトとのコミュニケーションに悩んで退部しようとしたこともあったといいます。
しかし仲間の励ましがきっかけとなり、筆談と身振りなど持ち前のコミュニケーション力でハンディをカバー。厳しい自主トレーニングの末に、ピッチャーから、ろう者には難しいといわれるキャッチャーに転向し、見事にレギュラー選手に選ばれました。
高校3年生になった今年の夏、全国高校野球選手権大会の東東京大会で4回戦まで勝ち進みました。強豪の関東一高とも対戦し、新聞記者のインタビューに「聞こえなくても硬式野球できるぞ! と、強気で楽しい野球をしたいと思います」と筆談で応じています。

宙くんのさらなるチャレンジは「聞こえなくてもできる」ことを多くの人に知ってもらうこと。
宙くんの活躍を知ったフランスに住む映画監督・藤原亜希さんから映画制作の提案がありました。宙くんが手話と筆談で出会う人々とコミュニケートしながら、「聞こえない」フランス人、リザンドラさんに会いに行くドキュメンタリーです。
カメラは宙くんの後をついて行くだけで手助けはしません。藤原さんによる美しい映像の中で進んでいく物語を追っていくと、言葉は口からだけでなく、全身で発信するものなのだ、ということがわかってきます。
(記事の最後に、映画の一部をインターネットで視聴できるお知らせがあります)
「障害者差別解消法」で、聞こえない子たちの選択肢を広げるために
宙くんの高校での勉強は、BBEDが試験的に導入している遠隔で先生の声を文字に変え、聞こえない生徒のスマートフォンに字幕を送る「遠隔パソコン文字通訳システム」(※)がサポートしています。
音声を自動的に字幕化するシステムはあるものの、音声から複雑な日本語を変換する技術は十分ではなく、正確さが求められる学習の支援には心細い状態です。「遠隔パソコン文字通訳システム」は2名のスタッフが待機して、授業の音声を手作業で文字入力しています。
※2014年10月、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)社会技術研究開発センター(RISTEX)の「研究開発成果実装支援プログラム」の実装プロジェクトに「聴覚障害高校生への遠隔パソコン文字通訳での授業支援」が採択され、今後3年間、資金面での支援を受けられることになりました(これは国立研究開発法人科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業(社会技術研究開発)として実施されています)。
日本の小中学校には特別支援学級があります。大学には、ハンディを持つ学生の「情報保証」があり、例えば視覚や聴覚に障がいがある場合、それを補うサービスを受けながら学ぶことができます。ところが高校の場合、自分でボランティアを雇うなどしないと、聞こえない子が、ろう学校以外に進学することは事実上、難しいのです。
2016年4月に「障害者差別解消法」が施行されます。この法律では、公的機関(教育機関を含む)がハンディのある人への「合理的な配慮」をしないことは違法としています。ただ、どこまでが「合理的配慮」なのかには、さまざまな解釈があります。
「情報保証が制度化され『遠隔パソコン文字通訳システム』などのサービスを選んで使うことができれば、聞こえない子どもたちが、もっと夢にチャレンジしやすくなるのですが」と玉田さん。
ハンディのある人、ない人が同じスタートに立って挑戦できることは持続可能な社会への一歩といえます。法律で「情報保証」がどのように変わるのか、注目していきましょう。

記事中で紹介した藤原亜希監督、玉田宙(ひろ)主演のドキュメンタリー映画(仮タイトル『海を渡る手話の少年』)は、前編と後編にわかれています。前編は日本で撮影した「日本での生活」。フランスの「FRANCE5」というチャンネルの「目と手」という教育番組で放送されます。フランスでの放送日:2015年10月26日8:30〜(日本時間15:30〜)、再放送10月31日23時〜(日本時間24日6:00〜)放映時間:26分 ※フランス語字幕のみ
●10月26日の放送以降、以下のサイトで4年間視聴が可能です。
http://www.france5.fr/emissions/l-oeil-et-la-main
バイリンガル・バイカルチュラルろう教育センター(BEED)http://www.bbed.org/
学校法人明晴学園 http://www.meiseigakuen.ed.jp/