話しづらいことを自然に話せるきっかけに

 どんなに素敵なオモチャでも、それが誰か他人のものであって少しの間だけ貸してもらっても「いつか返さなきゃいけない」という制限が常に心の中にあるんですよね。たとえ、輪ゴム1個であっても、「自分だけのもの」になったときに、すごく価値が上がるんだよなって、息子とのやりとりで改めて理解することができました

 そこから、「ささやかなものが宝物に変わる瞬間は、誰にでも訪れるはずだ」というテーマが浮かび上がってきて、今回の作品へとつながったんです。

 こんなふうに、息子たちとのやりとりを通じて、「あ、これ面白いな」「きっとたくさんの子どもたちが共感してくれそうだな」と感じたことを膨らませてストーリーを作り上げていきます。

 一方で、自分が子どもの頃に嫌だった要素、大人のあざとさが透けて見える、お説教が前面に出た絵本はあまり作りたいと思いません。

 もちろん、教訓につながる本も必要だと思いますし、読み継がれる素晴らしい作品も多々あるのですが、導き方が上手じゃないと、子どもはすぐに飽きてしまうんですね。楽しみたくて絵本を手に取っているのに、大人のあざとさに気づいてしまうと、すぐに他の遊びに気移りしてしまう。僕は絵本を作る以上は絶対に最後まで読んでもらいたいから、ストーリーや絵の中になんとか引っ張っていける仕掛けを入れていきたいと思っているんです。

 同時に、子育ての中で果たせるかもしれない「絵本の役割」についても意識しています。

 例えば、普段の生活の中では言い出しにくいけれど、ちゃんと考えたいテーマを親子で話すきっかけをつくる役割。16年に出した『このあとどうしちゃおう』(ブロンズ新社)では、死というテーマを笑って楽しく話せる時間づくりを着地点にしました。

死というテーマを扱った『このあとどうしちゃおう』
死というテーマを扱った『このあとどうしちゃおう』

 絵本をめくりながら、「私だったらこういうのがいいな」「えー、お母さんは嫌かも」と親子で気軽に話せる時間。そのやりとりは冗談めいていたとしても、本音が見え隠れするわけで。「お母さんって、死ぬことをそんなふうに思っているんだ」「この子、案外古風なのね」と間合いをはかっていけるんじゃないかなと。

 生きる上で大事になる価値観ほど、改まって正座して話し合うの、なんか嫌じゃないですか? 日常の絵本読みの時間でお互いの本音を肩肘張らずに交換できる機会をつくれたらうれしいし、ゆくゆく役立つことがあればいいなと思っているんです。