家族をステレオタイプ化しない描き方とは?

 例えば、4月に出した『あきらがあけてあげるから』(PHP研究所)に登場するお母さんは、エプロンをつけて忙しそうに家事をしています。一方、お父さんは本を読んでいて、あきらが話しかけるとニコニコしています。エプロン姿のお母さんを描くことを通して、「お母さんは家事をしろ」と言いたいわけじゃありません。でも、「お父さんがもっと家事をするべきだ」という意見もあるでしょう。

 今の時代、家事を中心的に担う人がお母さんである家庭ばかりじゃありません。お父さんの場合もあるし、おばあちゃんやおじいちゃんが引き受けている家もある。そもそも両親がそろっているということが当たり前ではなく、それぞれの家庭にはバラバラの事情があります。全員を納得させる表現はなくて、そこをどうバランスを取って表現していくかが難しい

 子どもを描くときも同じです。例えば昔のマンガなら、「ガリ勉キャラ」であれば、メガネをかけさせればよかったけれど、それも一方的なイメージですよね。昔の表現方法を持ってくるわけにはいかないんです。安易な表現をするのは悔しいしね。

 かといって、誰も見たことのない表現をすると、伝わらないものになってしまう。絵本である限り、この子はおとなしい子なんだなとか、気が強い子なんだなということは、見て分かるように描かなくちゃいけなくて、そのバランスが難しいなと感じています。

 多様化の中でみんなが揺れているという話に戻りますが、そもそも正解やマニュアルがない今の時代、親が確固たる方針のもとに一貫した子育てをしようとしても、難しいと思います。その子なりの成長に合わせて、やり方を変えながら、その時その時を乗り切っていくしかない。当然ながら親はブレ続けることになります。