40歳で『りんごかもしれない』(ブロンズ新社)を出版、絵本作家デビューを果たしたヨシタケシンスケさん。30歳で出した初めてのイラスト集は全く売れなかったそうですが、小さな仕事をコツコツと続けていたことが、デビュー作のヒットにつながったと話します。今回は、改めてヨシタケさんの創作の原点と、絵本を通じて伝えたいことを聞きました。

大きな夢を抱くのが怖かった

 僕は「遅咲きの絵本作家」とよく言われます。確かに、初めての絵本『りんごかもしれない』を出版したのは40歳のとき。あれからまだ7年しかたっていないので、この業界ではまだまだ新人です。そもそも絵本業界では、60歳を過ぎてデビューする方もいらっしゃるので、僕なんてまだ「早咲き」のほうかもしれません。

 もっと言うと、実は「絵本作家になりたい」と願ったことすらありませんでした。なぜなら、僕は大きな夢を抱くのがずっと怖かったんです。やってみて「なれっこないよ」と批判されたり、願ったのにかなわなくて傷ついたりするのも怖かった。絵を描くことはずっと好きで、大学では芸術系の学部に進んだけれど、専門は造形だったので絵画制作に打ち込んでいたわけでもありません。ただ、大学時代につくった作品を見た友達が「すごくいい」と褒めてくれたことがうれしかったのを覚えています。

 大学院を終えて就職するときには、「言われたことを淡々とこなせる職人になりたい」としか考えていなくて、ゲーム会社に就職しました。そこで半年間だけサラリーマンをやっていたのですが、仕事に身が入らず、でも仕事をしているフリはしないといけなくて、机の隅っこで落書きばかりしていたんです。内容は上司の悪口で、のぞかれても言い訳できるように、女の子のキャラに言わせるような絵にしていました。それを同僚に褒められたことで有頂天になって、イラスト集を自費出版で制作し、それをもとに出版した初の著作が書店に並んだのが30歳のとき。全く売れませんでした(笑)。

 けれど不思議なもので、10年後に『りんごかもしれない』を出したとき、そのときの縁がつながったんです。絵本作家としては無名だった僕のデビュー作ですから、当初は出版社からも「絵本はたくさん売れるものではないので、覚悟しておいてくださいね」と先に謝られていたほど。それが蓋を開けてみると、書店での売れ行きが順調に伸びていったんです。後から分かったのですが、僕が10年前に出したイラスト集を書店員の方々が結構読んでいて、「あ、この人の絵、知ってる!」と応援してくださったそうで。

 何がきっかけになるか分からないなと思ったし、「細々とでもいいから、自分が表現したいものを世に出していくことは意味があって、その先につながることもあるんだな」と実感できました。

 創作の原点は? と聞かれると、一言では返せませんが、要するに僕は「貧乏性」なのだと思います