リモートワークが進み、日本だけでなく海外にいても仕事が可能になった今、よりよい教育環境を求めて地方や海外に移住する「教育移住」のハードルはグッと低くなりました。そうはいっても、本当に仕事に支障はないのか、文化や言語の壁はどうするのかなど、一歩踏み出すには気になることがまだ多くあります。そこで一足先に「教育移住」を選択した先輩たちに、移住したからこそ分かる「教育移住のリアル」を聞いていきます。

今回ご登場いただくのは、2021年7月末に父子で福岡県からオランダに移住した大谷竜也さん。南西部の都市デルフトに住み、8歳の娘さんは郊外にあるモンテッソーリの学校に入学しました。「子どもの教育環境は100点、僕のQOLは60~70点かな」という大谷さんに、教育移住の背景から学校の様子、現地での生活、今後のビジョンまで本音を聞きました。前編では、移住した理由や準備、学校の様子を紹介します。

【前編】保育園卒園後、ママを日本に残し父娘でオランダ移住 ←今回はココ
【後編】オランダ移住 教育環境100点、親のQOL70点

娘はバイリンガル保育園育ち、父はTOEIC600点での移住

日経xwoman DUAL(以下、――) 父親と子どもでの移住は珍しいパターンだと思います。なぜ父娘でオランダに移住されたのですか。

大谷竜也さん(以下、大谷) うちは3人家族ですが、妻は福岡でバイリンガルのモンテッソーリ保育園を経営しており現場を離れるのが難しく、3人で移住するという選択肢はありませんでした。娘は妻の保育園に通っており、モンテッソーリ教育の環境でのびのびと育っていたので、卒園後もモンテッソーリ教育を受けさせたかった。でも、日本で該当する小学校は関東に数校あるだけです。

 どうせ引っ越すなら、いっそのこと関東ではなく海外でもいいんじゃないかと夫婦で結構すんなり決めました。子どもにとって、英語の環境で多様な人に囲まれて育つことが将来の役に立つだろうという思いもありました。

 オランダを選んだのは、モンテッソーリの学校が各地にあり、日本のような校区に縛られずに学校を選べることや、外国人でも教育費が無料であることから。個人事業主ビザが取りやすいのも後押しになりました。

―― 奥さまが保育園を経営されているのですね。

大谷 そうなんです。妻はもともと通信制高校の英語教師で、自己肯定感が低い子たちにどう向き合ったらいいか悩んだ時期がありました。そのときアメリカの友人からモンテッソーリ教育の存在を教えてもらい、学び始めたらハマっちゃって。学校を辞めて保育士の資格を取り、モンテッソーリのディプロマも取得。2017年に保育園を立ち上げ、園児4人で大赤字からスタートしました。

―― 大谷さんも英語が堪能だったのでしょうか。

大谷 いえいえ、僕は英検2級・TOEIC600点程度、それも10年以上前のスコアです。ただ、妻に連れられて外国人の集まりによく顔を出していたので、何となく自分の思いは伝えられる程度でした。

―― 個人事業主ビザをお持ちとのことですが、大谷さんご自身はどんな仕事をされているのでしょう。

大谷 福岡ではフリーランスで地域情報サイトの編集長をしながら、グラフィックやウェブなどのデザイン、ウェブ業務のコンサルティングなどもやっていました。今もそのまま日本の仕事を続けています。オランダに来てからは、日本の知人にヨーロッパ車のパーツ輸入代行を頼まれたり、付き合いのある老舗の料亭さんにEU(欧州連合)で商品を売りたいと相談されたりもしています。

昨年の冬、初めてアムステルダムを観光。アムステルダム中央駅前の広場にて
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