世界を理解するためのツールである言葉。その自由さや豊かさ、楽しさを感じさせてくれる本を前回記事「豊島岡女子教諭『理系の生徒も国語嫌いにさせない』」では紹介しました。
続く今回は、ちょっと背伸びしてでも生徒たちに読んでもらいたいと思う哲学書を2冊紹介します。
哲学書って小説と比べるとハードルが高く、「なんでそんなに小難しく考える必要があるの?」とか「なんだか自分にはわからない、すごいことを考えているんだろうな」と遠ざけられてしまうことが多いのですが、それってもったいないと思う。
何かが起きました、それをこう知覚しました。これをただの知覚で終わらせずに、どう解釈すればいいか、どうかみ砕くかを自分に問い、考える。そうすると、世界の見え方や物ごとの捉え方がちょっと変わってくるんですよ。最終的に答えが出なかったとしても、考え抜くことで何かが変わる。これが哲学の面白さ。この魅力をなんとか伝えたいと、いつも思っています。
そこで、今回お薦めするのが、まず野矢茂樹さんの『語りえぬものを語る』 (講談社)。野矢さんの本は文体が軽く、文章も非常にわかりやすく、中学生くらいを対象に平易に書かれたものも少なくありません。でも、平易に書かれたことによって伝わりきらないニュアンスもあるので、今回はちょっとレベルの高いものを選びました。
自分が見ているこの世界は、他の人からどう見えているんだろう、という哲学的な問い。そんなの同じように見えているに決まっているじゃないか、というのが普通の反応なのでしょうが、私自身は、たとえば友人と一緒に歩いていて赤信号で立ち止まったとき、私の見ている赤と友人の見ている赤は同じなのかどうか、という素朴な疑問を抱えていました。
これに対して、自分が見ているものと他人が見ているものはまったく違う、原理的には自分以外の人間のことはまったくわからないという考え方があります。若いころの私は、これがなんだかふに落ちなくてずっとモヤモヤしていました。