数学と違い、国語は理詰めで解にたどり着けない
昨年、高校3年生の現代文の授業で、大学入学共通テスト対策を行っていたときのこと。生徒たちから「正解とされる選択肢にこう書いてあるけど、そんなこと文章中のどこに書いてあるんですか?」という質問が出た問題がありました。
「本文のここに、こういう言葉があるところから考えるんだよ」
「なんで、それが選択肢の文章とつながるんですか?」
そういった生徒は、文章で使われている言葉を追うことはできても、それらを有機的につなぐことが苦手で字面通りに受け取ってしまう。そのために言葉を変えて説明されると、本文と同じことが述べられているのかわからなくなるんですね。
私が本文の言葉と選択肢の言葉を結びつけると解説をすれば、その後の理解は早いのですが、「だったら、最初からそう書いてくれればいいのに」という不満もチラホラと(笑)。
数学なら、証明の過程をはしょってしまうことはないし、理詰めで考えることで唯一解にたどり着くこともできる。ところが国語はそうはいきません。言葉を頼りに、目に見えない過程をたどっていく必要があります。
それで、「これだから国語は苦手です」ということになってしまうんですね。
豊島岡女子学園は理系の生徒も多く、そういった生徒は物ごとを数値化して捉えたり、仮説を立てて検証したりすることが得意です。でも、理系であれ文系であれ、言葉への感受性を研ぎ澄ますことは絶対に必要です。なぜなら、言葉は世界を理解するための最高のツールだから。言葉があるから、私たちは考え、多様なこの世界を理解することができるのです。
この言葉の持つ特別な力をみんなに伝えたい。そんな思いから、今回の4冊を選びました。
1冊目は、三浦しをんさんの小説『舟を編む』 (光文社)。出版社の辞書編集部を舞台に、新しい辞書『大渡海』の完成に向けて奮闘する人々が描かれます。