『だるまちゃんとてんぐちゃん』(福音館書店)、『からすのパンやさん』(偕成社)などの絵本の著者として知られるかこさとしさん。2018年5月2日に92歳で逝去されたかこさんの遺志を継ぎ、講演や展覧会、未発表作品の出版などに携わっている長女の鈴木万里さんから見た、父の姿、伝えたかったことなどを語ってもらう連載です。

今回は今年7月に岐阜市ハートフルスクエアーGで行われた講演会を基に、かこさんのデビューまでの道のりをお届けします。

自分の話はしなかった父、かこさとし

 父、かこさとしは92歳で亡くなりました。80歳くらいまでは全国各地で900回以上講演をしていましたが、自分自身のことを話すことはありませんでした。

 かこが話していたのはいつも、「(この地域の)子どもたちはこんな石けりをしている」「こんな絵描き遊びをしている」「絵描きうたの言葉が地域によって違う。バリエーションがすごくあって面白い」といった、子どもたちの様子。常に子どもたちを見つめ、未来を担う子どもたちのためにお話を書いていました

 かこはなぜそのように、絵本や物語をつづってきたのでしょう。この連載では、常にかこさとしの姿を間近に見てきた私の視点から、父の実際の姿や、1959年に『だむのおじさんたち』でデビューして以降、多数の絵本を通じて伝えたかったことなどをお話しできればと思います。

本が1冊もないような家で育った

 かこさとしは1926(大正15)年、現在の福井県越前市で生まれました。両親とひと回り上の兄、2歳上の姉の5人家族でした。

 7歳ごろまで過ごした越前市での暮らしについては『遊びの四季』という著書の中で、どんな心情で過ごしていたのか、当時の風景はどのようなものだったかがよく描かれています。これによると、今のようなおやつはありませんから、野原に出掛けて行って、桑の実やスカンポ(スイバ、イタドリの別名。山菜の一種)、野イチゴを食べたりしていたのですね。こうした体験は『地球』という絵本にも描かれていて、ネコヤナギを見て春だなと感じたり、春ならではのほんのり甘いツバナ(チガヤ)を摘んでなめたりしていたという話は、私にもしてくれていました。

 あるいは小さな川で小魚を追いかけたり、虫などを追いかけたり……。意外かもしれませんが、かこの生家は本が1冊もないような家でした。どちらかというと自然を観察しながら大きくなったんです。かこの原点には、越前市の自然があったと言えるでしょう。