子どもたちと心を通わせることに腐心

 ともあれ1953年のかこは、セツルメント活動に夢中でした。

 セツルメントでは活動内容を伝える「こどもしんぶん」も発行していました。やがて子どもたち自身が書きたいと言い出したことで、かこは、新聞に必要な三要素を子どもたちに伝えることになりました。

 1つ目は世界のニュース。2つ目は日本のニュース。3つ目は自分たちの周りの出来事。それ以外は何でもいいけれど、その3つがあれば新聞になるよと

 そこで子どもたちは世界のニュース、日本のニュース、身近なニュースを書いていくようになりました。

 また、『こどものとうひょう おとなのせんきょ』(1983年)が復刊されていますが、かこはセツルメント活動当時から、子ども同士の話し合いを大切にしていました。当時のセツルメントでは、何か問題が起きると1時間でも2時間でも子ども同士が話し合えるようにし、子どもたちはそうやって解決策を導き出していたそうです。かこは、その話し合いには、何時間でも付き合わなければならないと話していました。民主主義の考えを、子どものうちから身に付けることを重視していたのですね。

 また、『自転車にのってったお父ちゃん』など、子どもの作文をもとにした紙芝居も作っていました。このお話は、自転車に乗って仕事に行った父親がある日、工場で事故に遭い亡くなってしまったという実話に基づいています。その子は、父親が亡くなり、父親との思い出と、その後の家族の暮しについて書いていました。「紙芝居にして上演してもよいか」とその子に尋ねると「いいよ」と言ってくれたのは、かこがこどもたちと心を通わせることに腐心し、信頼関係ができていたからではないかと思います。

 かこはその他にも皆さんご存じの『どろぼうがっこう』や、人種問題を背景にした『あおいめ くろいめ ちゃいろのめ』など、20年近くのセツルメント活動の中で、数々の紙芝居を描きました。そして活動を振り返り、いつも「子どもたちに教わった」と何度も申していたのですが、実際にセツルメント活動での経験が、絵本に昇華されていったことは間違いないでしょう。

取材・構成/山田真弓(日経DUAL編集部)