次女へのいとおしさは、上の子の育児経験が与えてくれるもの

 正直にいって、この時期のゆっちゃんのことをかわいいと感じる余裕がなかった。何もかもが初めてだったから。

 次女を生んで今、そのことを悔やんでいる。キュッと服をつかむ手も、おっぱいを飲みながらじっと私を見つめるまなざしも、一つひとつがこんなにもいとおしいものだったのか。あの時の私は「正しさ」に必死すぎて、何回おしっこを出して、何ccミルクを飲んで、何g体重が増えたのか、うんちの色はこれで正常なのか、暑くないか寒くないか、育児書や携帯を片手に一生懸命で、ゆっちゃん自身をどこまで見ていたのだろうと悔やむ。時を戻せるなら、ゆっちゃんの生後数カ月をもう一度経験したい。こんなにも愛らしい赤ちゃんの時期をもう一度目に焼き付けて、思いきり溺愛したい。

 でも、それはかなわない。かなったところで、初めての余裕のなさももれなくセットでついてくる。つまり、とめどなく湧き上がる次女へのいとおしさは、「子育ては獣道ではないよ」と教えてくれた上の子による育児経験が与えてくれているものなのだ。

 そして、それはこれからもずっと続く。下の子にとって私と夫は子育ての「経験者」でも、上の子にとって親はずっと「初心者」だ。2歳のイヤイヤ期に始まり、3歳の自己主張の強さに面食らい、ワガママに育ったらどうしよう、好き嫌いが激しくなったらどうしよう、たたいてしまったらどうしようと、「どうしよう、どうしよう」の毎日だ。子育てはその繰り返しのように思える。責任をもってしつけなくてはいけないとつい声をあらげる。

 けれど、上の子を育てて知ることになる。乳幼児や幼児期の心配事の多くは、大きくなるにつれて解消されるものも多いということを。上の子の時は「悩み」だったものが、下の子の時は「通過儀礼」になるのだ。「この時期ってこうだよね~」なんて言ってお茶をすすることができる。

3歳になったゆっちゃんが、かいがいしく妹のお世話を。右は外出ができるようになってから実施したお宮参りの様子
3歳になったゆっちゃんが、かいがいしく妹のお世話を。右は外出ができるようになってから実施したお宮参りの様子
3歳になったゆっちゃんが、かいがいしく妹のお世話を。右は外出ができるようになってから実施したお宮参りの様子
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