子育てで「第三者の介入」が必要な時期は案外短い

 これまでの3年間で手を挙げた経験がないからといって、今後しない自信などみじんもない。虐待や無理心中のニュースを見て、完全に他人事だと思えるママがどれくらいいるだろう。

 なんだか話が重たくなってしまったけれど、初めての二人育児で「自分で自分が怖い」以外にも理由はある。誰かに預けるのであれば、楽しく過ごしてほしいのだ。「親と離れている時間=ひたすら耐える時間」にすることを避けたかった。子育てで第三者の介入が必要な時期は案外短い。下の子が3歳になる頃には、ゆっちゃんは6歳。抱っこの身体的負担も減り、睡眠負債も解消されているだろうし、移動時の大荷物も必要なくなってくる。どちらともコミュニケーションが取れるようになり、シッターの出番は週末の仕事時のみになるだろう。お出掛けの負担が減り、むしろ3人であちこち外出できる楽しみな週末になるかもしれない。「午前中だけママに仕事させて」も通用すると思いたい。

 小学生にもなれば、いとこたちと泊まり合いっこしたり、預かり合いっこも可能になる。だから割り切って乳児と幼児が家にいるうちは、第三者に手を借りようと思う。誰にもヘルプできずに苦しみ、わが子を自分の手や言葉で傷付けてしまう事態を招かぬよう、助けてもらおうと思う(土日祝日仕事の夫を憎みかねないし)。「きっと大変……」と構えていたら、二人目が夜、ぐっすり寝てくれて、私も体力面で余裕が持てて、拍子抜けする可能性もあるけれど、それならそれでハッピー。

 かくして未知なる二人育児に向けて、態勢は整えた。最近、子育ては巣作りと一緒だなとしみじみ思う。住環境や保育環境だけでなく、夫婦時代はまずなかったご近所付き合いやママ友付き合いもリスクマネジメントの一環として極めて重要なもので(防災、防犯いろんな意味で)。少しずつ家族のために必要な環境を構築していく姿は、客観的に見ると鳥たちの巣作りと何ら変わらない。親になったんだなぁとしみじみ思う。これを皆さんが読んでくださっている頃には、私は二児の母になっているであろう。まずはワンオペや保活といった憂鬱ワードは一旦置いておき、久しぶりの新生児の匂い、柔らかさ、神々しさ、いとおしさに溺れ切りたい。存分に母性本能を爆発させようと思う。