―― 格差が広がり続けると、社会はどうなりますか。

阿部 所得に応じて階層が固定されると、社会の活力は失われてしまいます。貧困率が高いと、経済成長率が鈍化するとの論文も発表されています。優れた能力を持つ人が、生まれ育った階層ゆえに能力を発揮できないのは、社会的な損失につながるからです。格差を放置すれば、日本も米国のように都市の一部がスラム化し、社会が分断される恐れもあります。

 SDGsでも、貧困解消は1番目の目標として掲げられ、その達成は目標2の飢餓ゼロや目標3の健康的な生活の確保、目標4の平等で質の高い教育機会の提供、目標8の持続可能な経済成長など、多くの目標に深く関わります。SDGsの枠組みで考えると、貧困が他人事ではなく、自分にも関わる問題なのだと理解しやすいかもしれません。

努力が経済的な格差によって報われない社会でいいのか

―― 貧困を解消するために必要なこととは何でしょうか。

阿部 遠回りに見えますが、貧困という課題への対応はこの国にとって一番のプライオリティなのだという認識を広め、国民的なコンセンサスを作ることです。そのためには選挙で対策を打ち出す政治家や党に投票するのも一つの方法です。国民の意識が変われば政治家が動き、政策が変わります。

 自分が進学できたのは努力の成果だけではなく、恵まれた家庭に生まれたからだと考えるのは、誰しもいい気分ではないはずです。「平等」という美徳を捨てて格差を容認するのか、貧富にかかわらず努力が正しく報われる社会を目指すのかという問いが、私たちに突きつけられています。

―― 国民全体の問題なのですね。

阿部 もちろんです。格差拡大は中・高所得層にとっても厳しい社会をもたらします。例えば今回のコロナ禍では、公立校のIT化の遅れも浮き彫りになりました。公立と私立の教育格差が広がれば、今子どもを公立に通わせている親たちも「公立はIT化が進んでいないし、最低限の教育レベルを保証してくれない。だったら苦労しても小学校から私立に入れておいたほうがいい」と考えるようになる可能性があります。

 今でさえ、都心の中~高所得層では、子どもに小学校中学年から塾通いさせ、中学受験を目指すという傾向があります。世帯年収1000万円世帯であっても、自分たちの家計に余裕があると感じられない人たちもいるでしょう。膨大な教育費が家計を圧迫しているからです。ちなみに、年収1000万円以上の世帯は日本全体のトップ12%です。

 小中高が公立でも十分、難関大学に入る学力を身につけられるなら、親の経済的負担も、子どもの心身の負担も軽くなるわけです。しかし、「わが子だけ良ければいい」という考えで、貧困対策にも関心を持たなければ、それは難しい。政策には、変化の兆しも現れています。今年4月から日本学生支援機構は、大学生らを対象に、従来の貸付型に加えて給付型の奨学金制度を設けました。政府は今後も、高等教育無償化の対象範囲拡大などを進めるべきです。