―― 多くの子どもたちのスマホやゲームを持つ中で「私の周りには、経済的に恵まれていない人などいない」という声も聞きます。

阿部 「スマホを持っていて貧困と言えるのか」と批判されがちですが、高校生、大学生は友人や学校とのつながりを維持するため、毎日100円のカップ麺を食べてでも通信費を払います。しかし貧困と無縁の人たちは、彼らが抱える苦しみをなかなか想像できません。「経済的に恵まれていない人」は、まじめでけなげで服もボロボロの「かわいそうな人」であるべきだというステレオタイプ化も、貧困への理解が進まない一因です。

 例えばシングルマザーが、安物のイヤリングを身に付けているだけで「おしゃれする余裕はあるじゃないか」と批判される。ひとり親家庭に支給される児童扶養手当も、交際相手がいると「援助を受けているのでは」などと疑われ、受給が難しくなることがあります。

―― 困窮しているのは努力が足りないからだ、という「自己責任論」もあります。

阿部 自己責任論を振りかざす人は多いです。しかし例えば、生活が苦しく学習環境も整わない生徒が、小学校低学年の算数すら満足に習得できず、最終的に高校を中退してしまうのは自己責任でしょうか。

 東京・足立区では、小学校の算数を理解しないまま中1になってしまった子どもたちを、教師が夏休みに1対1で特訓する、という先進的な取り組みをしています。教師からは「できない子だと思っていたが、教えたら分かることに気付いた」という声が上がっているそうです。

 子どもたちは「勉強の仕方を教えれば分かる」のです。責任を負うべきは、彼らの「分からない」を放置し続けた公教育のほうです

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格差拡大で活力失う社会 高所得層に増える容認派

―― 日本には「一億総中流社会」と言われていた時期もありました。貧困問題が深刻になったのは、いつごろからでしょうか。

阿部 相対的貧困率は1980年代から増加傾向にありましたが、社会問題として認識されるようになったのはこの10年ほどでしょう。近年は、格差を容認する人も増えています。努力すれば、誰しも教育の機会は平等に与えられるといったことに価値を見出していた時期もありましたが、ベネッセ教育総合研究所の調査結果を見ると、所得による教育格差を「やむを得ない」と思う保護者の割合は、2004年には半数以下だったのに対し、2018年には6割を超えました。特に高所得者層にこうした考えが広がっています。

 米国では大学の学費高騰が問題となってはいますが、それは私立の話で、公立大学には、経済的に恵まれない家庭の子どもたちを受け入れるためのシステムも設けられています。日本の大学にはこうした意識はまだまだ浸透していません。