貧しい家庭環境で育ち、自力で留学を果たして米国の大学を卒業。その後シングルマザーとして子育てをしつつ、公認会計士の資格を取得した森井じゅんさん。第2回は、家族に絶縁宣言をした後、どのように今につながっていったのかについて、話してもらいました。

こっそり受験勉強をして、高校入試で合格

前回記事「森井じゅん 極貧の子ども時代に私を支えたもの」でもお伝えしたように、私はシングルマザーの貧しい家庭に育ちましたが、高校にはどうしても行きたいと思っていました。高校進学に賛成してくれない母に隠れてこっそり勉強を続け、埼玉県にある春日部女子高校のみを受験しました。いとこが通っていて、制服のお下がりにアテがありましたので、母親を説得できると思ったからです。

 結果は合格! 母も伯母に対する見栄があったのか、合格するとすんなり入学を認めてくれました。

ルーズソックスもプリクラも無縁の高校時代

 高校に入学し、しばらくすると家族でクリーニング店に住み込みで働き始めました。母が体調を崩しあまり店に出なくなり、私がカバーする日が増えました。経済的にそれだけでは苦しく、夜は年齢を偽ってファミレスでバイトをする毎日でした。

 あまり寝る時間もなく、学校に行っても勉強どころではありませんでした。家族にとってそれは当たり前となり、いつまでたっても私の生活は変わらないまま……。

 そんな生活に疲れ「もう無理。父のところに逃げよう!」と思い立ち、母との離婚後に遠い場所に住んでいた父の家の近くの都立高校の編入試験を、またもやこっそり受けました。当時は、女子高生が注目されるコギャルブームの全盛期。私も普通の女の子のようにルーズソックスをはいて、プリクラを撮って、高校生らしい毎日を過ごしたい、という思いもありました。

 編入試験にも合格し、ついに“普通の女子高生になれる!”と、思ったのですが……。自分から父の元に逃避したものの、「母を裏切っている」という罪悪感から、友達もできないままアルバイトばかりして、母にお金を送り続けていました。自分自身整理がつかず、最終的には高校を中退しました。

 逃げても逃げても、結局すぐに、自分から母に連絡をしてしまう。当時は気づいていませんでしたが、おそらく母と共依存状態にあったのだと思います。

 高校中退後は、昼は飲食店でアルバイト、夜の高級クラブの接客も始めて、同世代の新卒で働いている人より多くの収入を得られるようになりました。ただ、私がどれほど頑張って仕送りをしようとも、母に認めてもらえないように感じていました。なぜ、そうなんだろうと悩む日々が、何よりも苦しかったのを覚えています。

次ページから読める内容

  • 「私は死んだと思って」。家族から離脱を宣言
  • 勉強は甘~い蜜の味だった
  • 点と点は線になる。経験したすべてが血肉に
  • 母との共依存を抜け出せたきっかけは、娘の誕生

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