子どもを対等な存在として対話し続ける
お子さんが「ゲームをやりたいから他には何もしたくない」という「欲望」を言ったときにはどう答えるんですか?
「まず、『ゲームをどれくらいやればいいと思うの?』と聞きます。すると子どもが『ずっとやっていてもいいと思う』と答える。そしたら、『ずっとやっていてもいいと言うときに、学校の宿題や公文の宿題をやらずにやっていていいと思うの?』と聞く」
子どもに「別にいいと思う」と答えられてしまったら、どう返せばいいかと悩んでしまいそうです。
「僕はそこからも『何でいいと思うの?』と聞き続けます。社会に出たときに必要だと思うものは何なのか、パパやママが学校の宿題や公文の宿題はしたほうがいいと思うのはどうしてだと思う? など、答えを誘導せずに、子ども自身が考えて答えを出せるように問い続けます」
子どもだと、「そんなこと聞かれてもわかんない……」となりませんか?
「わからないと言われたら、『どこがわからなかった? パパの質問の仕方が悪かったかもしれないね。わからなかったところを教えてほしいな』と問い直します。僕は子どもだからわからないとは思っていません。子どもだと当然、僕ら親よりも知っている知識量は少ないですが、ただそれだけのことです。例えば、顔や体のパーツが似ていたり、遺伝的に自分に近しい存在だと感じることはありますが、子どもは親の所有物ではなく、あくまでも他人であり別人格です。だからこそ、対等な存在だと認識して対話し続けます」
対話の積み重ねが子ども自身の考える力を育んでいくのですね。まだ対話ができない乳幼児期の子どもに対してはどう接すればいいんでしょうか?