米国企業、日本のシンクタンク、フランスにある国連機関などに勤めた異色の経歴を経て、ノンフィクション作家として活躍する川内有緒(ありお)さん。バリキャリ派に見えて、「直感だけを頼りに次に進むべき方角を決めてきた」と話す川内さんは現在、保育園児の母親でもあります。親になっても「守りに入る」という言葉とは無縁な生き方を貫く川内さんが「働くこと」について考える連載エッセー。2回目は「フリーランスとおカネ」について。

せっかく見つけたホワイトな職場を退職、それから?

 前回はアメリカ、日本、フランスと職場を転々と渡り歩き、ようやくスーパーホワイトな職場、パリの国連機関に巡り合ったことを書いた。しかし、もっと自分らしい生き方を模索したいというめちゃくちゃ青臭い理由で、退職を決意。38歳で日本に帰国し、ものを書く日々がはじまった。

 えー、せっかく見つけたホワイトな職場やめちゃってどうすんだ?
 なんか食いぶちのあてはあったのか?

(ええ、皆さんの声がパソコン画面越しに聞こえてきましたよ)

 というわけで、今回はフリーランスという海への飛び込み方、そしてフリーランスのおカネ事情(川内有緒の場合)について書こうと思う。

 まず、答えから言うと、独立当時の私にはなんの見通しもなかった。あるのは、ぼう洋と広がる時間の海だけだ。

 ちなみにこの頃、夫のI君も似たような状況にあった。彼はもともとスペインでサッカー・ライターをしていたのだが(私たちはフランスとスペインで遠距離結婚していた)、私の帰国の3カ月後に「俺も日本で再出発する」と帰国。同時にそれまでの仕事を全て失った。だから2010年の夏、川内家は夫婦そろって無収入。しかも私のほうは38歳にして新人ライターに転身というゼロどころか、マイナス感しかないスタートだ。

何度も転職を繰り返して感覚がまひ?

 そんなんで不安じゃなかったのか?
(またパソコン画面から声が聞こえました)

 うーん、不安がまるでなかったといったら嘘になるのだが、「まあ、なんとかなるだろう!」という根拠のない自信があったのも本当だ。それまでにも何度も転職を繰り返して感覚がまひしていたのかもしれないし、波乱万丈(はらんばんじょう)に生きた父親の影響もあるだろう。