一言でいえば、ここは限りなくホワイトな職場である

 世界190カ国以上から職員が集まる国連では、人種も宗教も、好きな食べ物もバラバラ。だから女性やマイノリティーも働きやすく、同性愛をカミングアウトしている人もいた。福利厚生も年金も充実し、残業も休日出勤もなく、毎日定時に帰宅できる。おかげで、毎日自宅でゆっくり夕飯を食べ、たっぷりと眠り、週末になるとアーティストたちが集うアトリエに出入りして、ワインを飲んだ。

 しかし、表には、必ず裏がある。ホワイトな職場の背景では、行きすぎた官僚主義がはびこり、あまりにスローな意思決定のせいで私を含む一部の職員はたびたび暇を持て余す始末。「働き盛りのときにこんなんで大丈夫かな?」と悩むようになった。

 こうして全く異なる環境で働くうちに、仕事に対する価値観もめまぐるしく変化していった。

 アメリカでは、仕事とは「アメリカンドリーム」というゴールを目指す特急列車だった。脳裏にはアメリカ的成功(大きい家と車を買い、週末は庭でバーベキュー)が描かれ、多少の理不尽も未来のためにと目をつぶった。日本企業で働いている頃、仕事とは会社に奉仕することだった。自分の暮らしなんかどうでもいいのです、会社がもうかればそれで万事めでたし!

 しかしフランスでは、仕事とは、日々の営みを楽しむための手段だった。周りのパリジャンたちを見回せば、新鮮な食材を買い、家族や友人とピクニックをし、バカンスに出かけ、歌い、笑い、愛し合うことに忙しそうだった──。

パリで4年間住んでいたアパルトマン
パリで4年間住んでいたアパルトマン

仕事とは、自分を表現する手段なのかもしれない

 仕事って、なんだろう。働くってなんだろう。

 5年半パリで暮らしながら考え続けて出た結論は──。