遡ること25年、大学を卒業した私は、はなから就職することを諦めていた。将来も見えないままに友人を頼って渡米。語学学校に通ううちに、アメリカが好きになり、なんとかここに長く住みたいという一心で努力し、結果的に大学院を卒業。25歳でワシントンDCにある国際協力専門のリサーチ会社に就職した。
この会社を見つけたのは、ほぼ偶然である。ルームメイトから「アリオにぴったりの求人がある」と聞き、旅先から急ごしらえの履歴書を送付。面接を受けたところ、採用! 翌日から勤務開始、というめでたい急展開になった。
しかし、働き始めてすぐに、この会社の過剰なユニークさに気がついた。色で例えるならチカチカと点滅する「レッド」。なにしろ常に緊急事態が勃発しているのだ。私が採用されたとき、会社には3人の社員がいた。しかし、気がつけば他の社員はそれぞれの事情で退職。肝心の社長は常に東南アジアに出張中で、時差やネット環境の問題で、たまにしか連絡がつかない。1年弱にわたり、広いオフィスにいるのは新入社員の自分だけ、がーん! という未曽有の事態が生じた。
私の目の前には、自分が担当するリサーチの他に、会計業務から営業資料の作成、給料の支払い、出張の手配、契約書作成、訴訟の対応(会社が訴訟に巻き込まれた)、トイレ掃除やスズメバチの駆除まで、雑務が常に山積み。仕事を教えてくれる人もいないので、いつも目の前に迫った緊急事態にあたふた。まれに事態が落ち着きを見せると、「ああ、今日も一人か……」とブルーな気分に襲われ、誰もいないにもかかわらず、机の下に潜っては泣いていた。
ゴリゴリの男社会の黒に近いグレーな職場
そんな会社に3年ほど勤務した後(たくましくなった)、日本に帰国。次に勤めたのは研究員だけで700人(当時)もいるシンクタンクである。
この会社を色で例えるなら、黒に近いグレーだろう。
嘱託社員である私の労働形態は、昨今話題の裁量労働制だった。残業代は付かない一方で、深夜残業や休日出勤は当たり前。しかもゴリゴリの男社会ときていた。
それでも、私はまだ28歳だ。大きなプロジェクトを担当し、体力もやる気も大いにみなぎっていた。南米やアジアへの出張を精力的にこなし、1年のうち延べ7カ月間のホテル暮らしも無問題!
ただ、時折ややブルーな気分にさせられたのは、飲み会の席で一部の男性社員たちが交わすこんなジョーク。
「俺は川内さんとだけは絶対結婚したくないよな!」
「分かる、ハハハ! 料理とかまずそう」
「掃除とか絶対やらないよね。結婚するなら派遣の○○さんがいい」
そんなとき、私はヘラヘラと笑いながら場をやり過ごした。なにしろ反論の余地もない。当時の私といえば、冷蔵庫は空っぽ、育てていたものといえばサボテンだけだった。
今思えば、私にとっても○○さんにとっても、なかなか立派なハラスメントだが、残念ながら当時はそういう認識もなく、「これも仕事ができる証しだね、頑張れ、あたし」と完全に間違った方向に自分を鼓舞し、がむしゃらな働きぶりに拍車がかかった。ただし、体は正直である。連日の激務とストレスで腸が破裂し(緊急入院・手術した)、再び後先考えず、退職届けを提出した。
国連機関は限りなくホワイトな職場だった!
3つ目の職場は、フランスのパリにある国連機関だった(その転職の経緯も面白いのだが、割愛)。