この頃の娘といえば、ミルクと離乳食の両方が必要で、また肌が弱く、オムツも特定のブランド以外は受け付けなかった。そこでかばんには、大量の粉ミルク、ベビーフード、乾燥食材、オムツをぎゅうぎゅう詰め込み、また多様な気候にも対応できるようにと様々なパターンの服や帽子、そして万が一に備えて、各種の薬や救急キット、そしてカリフォルニア州の小児病院のリストもそこに加えた。おかげで、出発のときの荷物は、おいおい、夜逃げでもするのか、というほどのすさまじい量にまで膨れ上がった。

 しかし、いったん旅が始まってしまえば、心配していたことは1つも起こらず(娘が車のなかでノンストップなギャン泣きを披露したこと以外)、私たちは思う存分ヨセミテの森のなかを歩き回った。

 この初のナナタビは、私たち夫婦に強烈な印象を残した。特に記憶に焼き付いているのは、美しい巨木の森ではなく、勇敢な人間の姿である。

娘の成長に合わせ、旅のあり方も変化

 サンフランシスコで泊まっていた部屋の入り口には、3段ほどの階段があった。当時、絶賛ハイハイ中だった娘は、その階段を発見して以来、よじ上ろうとしてはずり落ちる、を何度も繰り返していた。しかし、3日目の夜、ついに努力は報われた。よちよちと階段を上りきった娘は、「ダーダダダ、ババブシー!」という謎のおたけびをあげながら喜びを爆発させた。その無数のトライを3日間見守り続けていた私たちもまた、成功の瞬間に喜びでジャンプした。

 あれから4年、娘の成長に合わせ、旅のあり方自体もめまぐるしい変化を遂げた。まず、0歳の時に比べると、事前の準備が信じられないほどイージーになった。これは、持ち物という意味だけではなく、旅の宿や旅の行程もそうだ