「バブル女」の芸風で知られるお笑い芸人の平野ノラさんは、42歳で第1子を出産。芸人になろうと決めたのは、周囲の女性たちが結婚・出産を視野に入れ始める31歳のときでした。そこからの30代は仕事に夢中で、子どもを持つことは考えられなかったと言います。今回の記事では、平野さんが「天職」と語る芸人の仕事にどう出合い、どんな30代を駆け抜けてきたのか、子どもを産んでどんな変化があったのかについて語ってもらいました。

彼の家で帰りを待って…迷いの中にいた20代

 私がこの世界に入ったのは31歳、芸人としてはとっても遅いスタートでした。

 実は、23歳のときだったかな、芸人になりたいと思って、オーディションを受けたことがあります。今思えば、ネタの作り方も知らず、ただ自分で思いついたことをやっただけのひどいものでした。だから、当然といえば当然なんですが、そのときめちゃくちゃダメ出しをされて。それでもうがっくり来て、1度で諦めちゃった。

 それからはずっと自分探し。就職して「OL」をやっていたこともあるし、彼氏の家で専業主婦みたいに家事をして彼の帰りを待つ、という暮らしをしていた時期もある。自分が何をやりたいのかも、どう生きていったらいいのも分からず、「私って、頑張ってるよね」という充実感もなく、迷いの中にいました

20~30代を振り返る平野ノラさん。取材はオンラインで行った
20~30代を振り返る平野ノラさん。取材はオンラインで行った

 でも心の中には、1度諦めたはずの「芸人になりたい」という火種がくすぶっていました。思えば私は幼い頃からずっと「面白い子」と言われ、「コメディアンになったら~?」と近所のおばさんに言われたこともありました。学生時代はバレーボールの強豪チームにいたのですが、厳しい練習の合間に、みんなを笑わせて笑顔にするのが私の役目だった。合コンでは「かわいいね」とは言われないけれど「面白いね」とみんなが言ってくれた。私がいちばん得意でいちばん好きなことはここにある。

 30歳のとき、長いことお付き合いしてきた彼氏と結婚話が持ち上がりました。このままお笑いへの火種を抱えたまま結婚してもいいのか? 結婚したら、芸人への道は閉ざされてしまうと思いました。だったら、30歳の今から芸人を目指す? 無理だろう、と打ち消す気持ちがないわけじゃなかったけれど、挑戦したいという気持ちがむくむくと大きくなっていきました。