美大在学中の20歳のときに公募展で賞を取り注目を集め、写真家としてデビュー。27歳で木村伊兵衛写真賞を受賞、28歳で出産し、その後は文筆業でも賞を受けるなどマルチに活躍するアーティストの長島有里枝さんの書き下ろし連載。「女性の生き方」について多角的に表現活動を続ける長島さんが、今回は「保育園生活で学んだこと」を振り返ります。

保育園コミュニティーに受け入れられて

 子育ての大海を漂う難破船状態だったわたしの灯台となったのが、前回のコラムでも少し触れたH保育園です。今回は「息子の」というより「わたしの」保育園生活について、お話ししたいと思います。

 そもそもH保育園は、自治体の保育園申し込みで3次審査までストレート落ちした結果、言われるがままに入園した園。ありがたかったけれど、不便な場所にありお迎えが大変だったので、そのうち駅近の園に転園しようと最初は思っていました。

 ところが入園から2週間目、H保育園の子育てにおける信念を見せつけられる出来事があり(前回コラム参照)、感動したわたしは子育てという仕事の奥深さと可能性に開眼。「大人なんて信じない」と心を閉ざすレベル・ガール(編集部注・rebel反逆する)だった自分までもが、子育てと同じ理念に貫かれたH保育園のコミュニティーに受け入れられることで、彼らを仲間と思い、自分を開いていけるようになりました。

 H保育園は、駅からバスで20分ぐらい行った畑のど真ん中に、デイケアセンターと並んで立っています。園庭には、園児のお父さん(建設業)が自前のショベルカーで運び入れた、異物の混じらない、きれいな泥山があります。敷地はすべての年齢や月齢の子が駆け回ったり、座って土をいじったりできるほど広く、小さな畑もあります。お散歩に行けば近所には牛がいて、お隣の施設で歌を披露したり、折り紙をプレゼントしたりもできる。平日休みになった保護者が、子どもを送りがてら保育参加することもよしとされていました。

 登園時間は朝の9時でしたが、わたしは毎日遅刻気味。子どもの頃から朝が苦手なのに、親になったぐらいで急に早起きができるわけありません。そのうえ、自宅から園までは車で40分、子育て疲労のせいで再燃した潰瘍性大腸炎も抱えていました。そのような環境で、子どもをどやしたりなだめすかしたりして食事や身支度をさせながら、自分も支度を整えることはついぞできず、遅刻は自分が出かけなくてよくなった小学校まで続きました。

 そんなわけで、保育園への到着は大抵9時15分すぎ。早く来るよう言われてはいたものの、担任のベテラン保育士I先生は苦言を呈することもなく、来たこと自体を喜んでくれるかのように、にこやかに挨拶してくれます。そして、息子をわたしから抱き取るか、彼の手を取るとまず、「お母さん、体の調子大丈夫?」とわたしを気遣ってくれたのです