「子ども」ではなく、「人間」を育てている

 H保育園の子育てはとにかく素晴らしかった。例えば、子どもがケンカしたとき。わたしの知るかぎり、そういうときのお母さんは

(1)「いいかげんにしなさい!」と怒る
(2)「お姉ちゃんなんだから」「弟なんだから」我慢しなさいとなだめすかす
(3)「おやつ抜き」などのペナルティーを科す

 などの方法をとるものだと思っていました。いっぽうH保育園では、担任の先生がケンカする2人を片膝に1人ずつ座らせ、なにがあったのかをじっくり聞き出します。

 その際、子どもの言うことは決して否定せず、「そうなんだ、やだったね」とか「それは痛かったね」などの共感の言葉のみ発しつつ、聞くことに徹します。言い分が出尽くしたら、「○くんは、こう思ったんだって」「△ちゃんはこうしたかったんだって」と、今度は話の食い違いを丁寧に説明。

 子どももちゃんと理解しているのか、うなずきながらその話を聞きます。それから、先生は2人に「どうしたい?」と尋ねます。すると大抵、お互いに「ごめんね」がしたい、となるのでした。先生が2人にかかりきりの間、そのクラスには別の先生が入って他の子たちをみます。子どもたちもみんな同じ経験をしているので、あ、あれな、と3人をそっと見守っている。先生の膝から友達が下りると、園庭はまた何事もなかったかのような風景に戻ります。

 H保育園では、一事が万事このように進みます。小さい子はうまくしゃべれませんが、なにも考えてなかったり、感じていなかったりするわけではない。言えない気持ちを大人が代わりに言葉にすることで、子どもは思いを外に吐き出せるのです。そこまで丁寧に子どもと向き合うことなんて考えたこともなかったわたしは、ここの人たちは子どもではなく、人間を育てているのだなぁ、とつくづく思ったものです。

もしH保育園と出合わなかったら……

 人と分かり合うには大変な労力と時間が必要です。そして、ぶつかり合うことはある意味、避けられない。だから、正しい人とそうでない人を暴力的に決めたり、絶対的な力を持つ人がそれをジャッジしたりするのではなく、当事者同士がお互いに耳を傾け、相手を理解し和解することしか、本来はできないのかもしれない。これはわたしが今でも、人と関わるとき必ず念頭に置く考え方です。

 H保育園との出合いがなかったら、このような考えを信じ通すことができただろうかと、時々思うことがあります。こんなに大切なことを、畑のど真ん中の小さな保育園では、おしゃべりもままならない小さな人々に、当たり前のこととして教育していました。この保育園からは絶対に転園してはいけない、とわたしは強く思い、数カ月後、自分たちが保育園の最寄り駅に引っ越すことを選んだのでした。