ねぎらいの言葉に飢えていた

(c)長島有里枝
(c)長島有里枝

 保育園に落ちて保育課に直談判をしにいったときの、わたしの切羽詰まった様子はきっと伝わっていたと思うし、一人で子育てしていることも、病気を抱えていることもI先生は知っていたのでしょう。今思えば、H保育園の先生がたは情報を共有し、わたしが子育てにくじけないよう、みんなで見守ってくれていたのだと思う。わたしがいっぱいいっぱいなのを知っていたからこそ、できないことが多くても長い目で見ていてくれたんじゃないか。

 I先生とはよく、立ち話もしました。ひとしきり話が済むと、先生はいつも「お母さん、本当に頑張ってるね」と言います。毎日かけてもらえるこの言葉に、どれだけ救われたことか! そう言われるといつも、泣きそうになってしまうのでした。毎日限界まで頑張っているのに、そんなふうに声をかけてくれる人は一人もいなかったから

 B.C.時代(Before Childの略)のわたしは成果主義社会にどっぷりつかり、頑張ればなんらかのインセンティブが待っているのが人の世だと思い込んで生きていました。ところが子を持ってみると、なにを頑張っても「母親なんだから当然」という、無言のメッセージを送られている気がするようになりました。

 家族からさえ「自分が産んだんでしょ」「成功してるんだから俺の仕事を優先してよ」「なんでもっと我慢できないんだ」のような言葉をかけられ、誰が一番大変かで張り合いになることも多かった。わたしの頑張りを認めると自分に仕事が回ってくると彼らは思っていて、面倒を引き受けたくないがために封印されたサポートやねぎらいの言葉に、わたしは飢えていました。