周囲の人と比較しても、あの頃のわたしの人生はもの凄いスピードで進んでいました。20歳でデビューしてからは、同じ悩みを共有できる同世代の友人も少なくなり、孤立しているのではと不安に思うことも増えました。逃げるように渡ったアメリカでは友人もできましたが、英語が苦手なアジア人の若い女性という複雑な役割をあてがわれ、新たな疎外感を覚えるようにもなりました。

 おそらく、子どもの頃から学校や家に自分の居場所がないと感じていたことも手伝って、わたしは自分で思うよりも長いあいだ、自分の居場所だと心から感じられる家や家族を切望していたのだと思います。仕事での成功も喜ばしいことだけれど、それよりもっと大切に思えたのは、そこにいる限りは守られていると思える、安心してくつろげる、自分を偽る必要がない場所と人を得ることでした。その気持ちはいまも変わりません。

 当時、わたしにとって子どもを持つということはなにかそういう、自分がずっと欲しくても手に入れられなかったものを象徴していたのでしょう。実際、仕事上のキャリアを積んでも埋まらない部分が自分のなかにあるということに、すでに気付いていたとも思うのです。

 しかし、子どもが自分の人生の足りない部分を補ってくれると思っていたなんて、なんて傲慢だったんでしょうか! 確かに、赤ちゃんはわたしの人生をこれまでになく最高なものにしてくれたのですけれど、子育てがそんな美談で終わるはずもないわけで……。

コロナで感じた既視感

(c)長島有里枝
(c)長島有里枝

 話をいまに戻しますが、まさか世界がこんなふうになるなんて、昨年末には誰も考えていなかったでしょうね。大勢の人が困難な生活を強いられているわけですが、お子さんをお持ちの方々にとってのここ数カ月は、とりわけ厳しいものだったのではないでしょうか。保育園や学校に行けない子どもたち、やることがなく、飽きて不機嫌な彼らがいる自宅で仕事をしなければならないことは、お互いに相当なストレスであっただろうと想像します。

 この先どうなるの? というシンプルな質問に対して「これ」という答えのない心許なさに、泣きそう、っていうか泣いた! という人も多いことでしょう。ほとんどの人にとって、ここまで予定が狂ったり、先の見通しがつかなかったりする経験って人生初なんじゃないかと思う一方、この状況に若干の既視感を覚えているわたしもいます。というのも、新型コロナウイルスのパンデミックによって強いられた数々の困難が、赤子を迎えたあと数年続いた「調整、調整、また調整の時代in自分史」を思い出させるからなのです

 皆さんにはなかったでしょうか、子どもを持つだけでなにもかもが予定通りに進まなくなるなんてマジ、聞いてないし! と思った苦々しい経験が。子育ての最初の数年間、わたしにはそう思った記憶しかない(というか、記憶そのものがあんまりない)といっても過言ではないのです。

 この続きは、次回また!