Rの疑問は、「強い者は弱い者を守り、気遣うもの」という道徳観念が、彼のなかに育っているからこそ湧いたもの。我が子は、社会を「いい場所」と信じているのです。なのにわたしは、彼に同意こそすれ、答えることはできないのでした

議論しながら互いを理解し、歩み寄るという手法

 新学期、東京に戻ってきたわたしたちはマスクをつけるようになり、特に砂ぼこりを吸い込みやすい屋外では遊ばないよう、Rに言って聞かせました。食事もすべて手作りするようになり、掃除もまめにするようになり、家事の負担は急激に増えました。外食する場合には、事前に店の対策をリサーチ。市内の有志の親で集まり、給食食材の産地公開や定期的な放射能検査の実施を、市に要望もしました。

 こうして、東日本大震災の直前に受験した大学院に通いながら、仕事もして、家事も増えてと、暮らすことはまた大変になりました。それがやり過ぎだったかどうか、わたしには分かりません。単に子どもの健康を守るという観点からのみ、いま振り返れば「そうだった」のかもしれません。

 でも、大学院で社会学を学ぶにつれ、自分の行動は単なる自己満足や、個人の利害のために取られたものではなかったと思うようになりました。あれは、有事において不安や疑問に悩む人々と真摯に向き合わない社会や、責任を取らない政府へのプロテストだったのだ、と。

 広く定着した「安心安全」という言葉は、原発事故にまつわる不安や疑問について人々が話し合う機会を奪い、不安や疑問を抱くことそのものに罪悪感を覚えるよう、わたしたちを導いたと思います。不安を打ち明ける人に対する「もっと大変な人の気持ちを考えろ」という非難や、問題意識を持つ大人を過保護なバカ親とみなす言説を前に、議論しながら互いを理解し歩み寄るという民主主義の手法が危機にひんしていると感じました。結局は、原発問題だけじゃなく、それをなんとかしたくて行動していたようにも思います。

安心して暮らせる社会 つくるのは自分自身に他ならない

 地震も新型ウイルスのまん延も、人間の力で「起こさない」ことはできません。でも、起きたことにどう向き合うかは、わたしたち自身が決めることです。

 自分にはない長い未来が子どもにはある。そう考えたとき、わたしが残したいと思うもののなかに、安心して暮らせる社会があります。それをつくるのは政治家だとずっと思ってきたけれど、あのとき以来、それはこの社会を構成する自分自身の役割に他ならないのだと思うようになりました。

 言い換えれば、未来をつくり上げる力や権利は、わたしたち全員にあるということ。子どもたちに「それがお前の仕事だ」と言うことで、ではなく、自ら楽しくやってみせることで、そう伝えていけたらなぁと思います。

 いまは子育てがさらに大変なときですが、この経験をもとに子どもとこれからのことを話してみる。そんなきっかけになったらいいですよね