ニュースで見る震災関連の映像はどれも悲しく、やりきれないものばかりでしたが、なかでも福島第1原発1号機の建屋が水素爆発した映像はショックでした。というのも、ある本を11歳で読んで以来、わたしは原子力発電をよく思ってこなかったからです。事故は絶対起きない、というのが大人の言い分でしたが、その2年後にチェルノブイリ原発事故が起きました。

 子どもながらに新聞の関連記事を何カ月もスクラップし続け、作文の課題も原発の危険性をテーマにしました。だから福島第1原発が電源を喪失したとき、そのことが数時間のうちにどんな問題を引き起こす可能性があるのか、なんとなく想像がつきました。

 テレビでは政治家が、「直ちに健康に影響はない」と訴え続けていた。でも、放射能の怖さは「直ちに健康に影響」するかどうかだけでなく、時間がたってから現れる健康被害など長期的な影響の怖さでもあることを、ほとんどの日本人は知っています。つまり、わたしにすればその政治家は、なにも言っていないのと同じでした。国民に情報を伝える姿勢が政府にないのであれば、先のことは誰にも分からないのだから、自分で決めよう。そう考えてわたしは、息子を連れて西に移動する決心をしました。

(c)長島有里枝
(c)長島有里枝

 当時まだ9歳だった息子に、学校を休む理由をどう説明するか悩みましたが、結局は言葉を選んで、わたしの考えを伝えることにしました。

 娘に原発の本をあてがった父は、眠れないほどおびえるわたしに「俺が原発問題なんとかするのはもう無理、君がやって」と言い放ったのですが、わたしはRに「あなたを守りたい」とまず伝えました。そのうえで、大人が引き起こした事故のことや、目には見えない放射能がこれから起こすかもしれない環境と生きものの破壊について、説明しました。

11歳の自分が抱いた疑問

 「どうして大人はそんなものをつくるの?」。そう尋ねられて、はっとしました。それこそまさに、11歳の自分が抱いた疑問だったからです。当時わたしは、グリコ森永事件の新聞記事をスクラップ中でした。お菓子に毒を入れ、パッケージにひらがなで「どくいりきけん」と書かれた商品が店頭に置かれた事件です。勝手にお菓子を買って食べないよう、大人は厳しく言うのですが、わたし自身は怖いというより、なぜそんなことをするのかと不思議に思いました。