自身の昇進と夫、和也の異動が重なり、小学校に入学したばかりの勇斗を十分にケアする余裕もないまま、多忙な毎日を送っていた美紀に、ある日突然訪れた、大きな試練。帰宅した美紀を待ち受けていたのは、和也と勇斗から同時に発せられた、ある重大通告だった――。和也の発した、心臓を凍らせるようなある「一言」とは? 

【これまでのお話】
第1話 『野櫻家の選択』連載小説スタート!
第2話 あの時転職を決断した自分を褒めてやりたい
第3話 保育園の卒園式の朝、着物持参で義母が…
第4話 苦手な岩田と卒園後も付き合い続くと思うと…
第5話 入学式直前の美紀に部下からトラブル報告
第6話 それって職場いじめなんじゃない!
第7話 あの2人を組ませるのはまずいのでは?

『野櫻家の選択』 主な登場人物

◆野櫻美紀(のざくら みき) 三十六歳 /大手人材会社の営業企画部に所属。夫とは学生時代のゼミで知り合った。明るく前向き、大雑把。マイペース
◆野櫻和也(のざくら かずや) 三十七歳/大手住宅メーカーの人事部に在籍。おおらかで人当りが良さそうに見えて、実は神経質で小心
◆野櫻勇斗 (のざくら はやと) 六歳/保育園年長クラス。早生まれで小柄。性格は父親に似ておだやかで争いごとは嫌い

学童って、どうしても行かなきゃいけないのかなあ

「だったら、僕が本部会議に出席するよ」

 事情を聞いた和也はあっさりそう言った。

「大丈夫? だって、今度の上司は面倒な人なんでしょ? 休み取れるの?」

 入学式に和也が出席することさえ良しとしなかった相手だ。まして子どものPTAの会議に出席するために、和也が半休取ることを了承するとはとても思えない。

「外回り行くことにするから平気だよ。これくらいの息抜きをしないと、俺やってられないよ」

 新しい上司に和也は嫌われているらしい。歓迎会も結局行われなかったと言うし、和也よりも若い部下の方には自分から声を掛けたり、相談にも乗ったりしているが、和也のことは「きみは係長だし、それくらいひとりでできるだろう」とほったらかしにしている。前任者から引き継ぎもされず、自分の担当は自力で新規開拓を命じられるなど、無理を言われているらしい。和也にも相当ストレスがたまっているのだ。

「そうしてくれると助かるけど」

 社内の打ち合わせなので、グループリーダーの水谷に任せることもできないわけではない。しかし、営業部の方はマネジャーが出てくることになっているし、御前崎のことが気になるので、できれば自分も立ち会いたい。

「まあ、任せてよ。保育園の時はパパ会でいろいろやってたじゃないか。小学校だって、男親が参加して悪いはずがない」

 和也はそう言いながら、使った食器を食洗機にセットした。食洗機や自動調理鍋など、野櫻家では家事の省力化に役立つものは積極的に取り入れている。そして、自分の使った食器は自分で食洗機まで運ぶのは、野櫻家のルールである。勇斗もちゃんと実行している。

「それはそうだけど、小学校はなぜか母親ばっかりなのよね。男女共同参画が奨励される時代なんだから、こういうところから変えていくべきだと思うんだけど」

「その通り。うちは家族でワンチームだから、美紀ちゃんにだけ勇斗のことを任せるつもりはないよ。子育ては、父親にとっても権利だと思ってるから」

「ありがと。やっぱり和くんは最高だよ」

 自然と笑顔が浮かんでくる。和也はいつだって心強い味方だ。

「お茶淹れる?」

 美紀はそう和也に尋ねる。いつもは和也の方が淹れてくれることが多いが、ここのところ和也は残業続きで帰宅が遅い。

「そうだな、もう夜遅いから、ほうじ茶がいいな」

 和也のリクエストを聞いて、美紀は棚からティーバッグのほうじ茶を取り出した。寝る前に珈琲を飲んでも平気な美紀と違って、和也は夜眠れなくなる。珈琲よりほうじ茶、ハーブティの方が好みなのだ。ガラスのポットにティーバッグを入れ、魔法瓶のお湯を注ぐ。

「十九日の十時だっけ?」

「そう。大丈夫?」

「うん、特に会議とかはないから、大丈夫だよ。面倒だから、立ち寄りで午後出社にしようかな」

「いいんじゃない? 一度会社に入って、わざわざまたこっちまで戻ってくるの、面倒だもんね」

 野櫻家のある駅から都心にある和也の会社までは四十分ほど掛かる。往復だけで一時間以上も掛けるのは馬鹿らしい。

「お茶、どうぞ」

 美紀は湯飲みにほうじ茶を注いで和也に渡す。自分の湯飲みにもポットの残りを注いだ。ほうじ茶のひなびた香りがふわっと辺りに漂う。

「ありがとう。ところでさ」

「なに?」

「勇斗のことだけど。最近元気ないんじゃない?」

「ん? まあ、そうねえ」

 正直、それは美紀も気になっていることだった。

「クラスの方は、まあ大丈夫みたいなのよ。勉強の方はまあ、ついていけているし、同じようにおとなしい男の子もいるから、そういう子と仲良くしているみたい。だけど、学童の方がね、どうもね」

「やっぱりね。昨日、一緒に風呂に入った時、『学童って、どうしても行かなきゃいけないのかなあ』って聞かれたんだよ。『何か嫌なことがあるの?』と聞いたら、『そうじゃないけど』って言ってたけど、あれは何かあるな、とぴんときたよ」