大手人材会社の営業企画部に所属している野櫻美紀。「仕事は大事、だけど家庭はもっと大事」をモットーとし、夫の和也、一人息子の勇斗(六)と明るく穏やかな家庭を築いている。

夫婦ともに仕事も順調、家庭も順調、将来については何の不安もないと思われていた野櫻家において、勇斗が小学校に入学する前後のタイミングで次々に試練が訪れ、家族の生活は思わぬ方向へ舵を切ることに。

その時、「チーム野櫻家」が下した決断とは――。

【これまでのお話】
第1話 『野櫻家の選択』連載小説スタート!
第2話 あの時転職を決断した自分を褒めてやりたい
第3話 保育園の卒園式の朝、着物持参で義母が…
第4話 苦手な岩田と卒園後も付き合い続くと思うと…

『野櫻家の選択』 主な登場人物

◆野櫻美紀(のざくら みき) 三十六歳 /大手人材会社の営業企画部に所属。夫とは学生時代のゼミで知り合った。明るく前向き、大雑把。マイペース
◆野櫻和也(のざくら かずや) 三十七歳/大手住宅メーカーの人事部に在籍。おおらかで人当りが良さそうに見えて、実は神経質で小心
◆野櫻勇斗 (のざくら はやと) 六歳/保育園年長クラス。早生まれで小柄。性格は父親に似ておだやかで争いごとは嫌い

「えっ、江藤先生が入院?」

「はあ、そうなんですよ。ほんと、困りましたねえ」

 電話の向こうから聞こえる部下の御前崎 駿(おまえざき しゅん)の声は、いらいらするほどのんびりしている。

「入院って、どれくらい?」

「それははっきりおっしゃってなかったんですけど、一カ月は掛かるらしいです。何せ心臓ですから。絶対安静だそうですし」

「病名は?」

「えっと、なんだっけな。虚血……虚血性なんちゃら」

「まあ、いいわ。事情はわかった。それでどうする?」

「どうするって……先生の病状が落ち着いたら、お見舞いに伺おうと思いますが、当分は絶対安静だそうです」

「そうじゃなくて」

 美紀の苛立ちはピークに達している。よりによって、こんな時にこんなことが起こるなんて。

「来週のイベント。江藤先生が講師ということで告知していたわけだし、それで会場も押さえていたんだから、どうしたらいいか、考えないと」

「ええ。困りましたね。もうそちらはキャンセルするしかないんじゃないでしょうか。江藤先生は有名な方ですから、入院のこともネットのニュースで流れるでしょうし、学生さんたちにもご理解いただけるかと」

 御前崎は自分が担当するイベントなのに、まるで他人事だ。

「それは最後の手段。ほかに講師を引き受けてくださる方がいないか、ともかく探す」

「えーっ、無理でしょう。だって、来週ですよ」

「今回お招きする講師は江藤さんだけじゃないし、クライアントも初めてのところだから、できるだけキャンセルはしたくない。とにかくやれるだけのことはやらないと、クライアントにも申し開きできないでしょ」

「そうは言っても、物理的に不可能じゃないですか」

「とにかく、当たれるだけは当たって」

「当たってって、誰に?」

 もっともらしいことを言うが、結局のところ御前崎は指示待ち人間だ。少し調べたり考えたりすればわかることでも、いちいち上司に判断を仰ぐ。入社二年目、部署でいちばん若い御前崎を育てるのは、マネジャーとしての美紀の課題である。