『野櫻家の選択』 主な登場人物
創業セミナーのおかげ? 和也の考え方がずいぶん堅実に
「行ってきます!」
勇斗が元気な声で玄関を出る。
「いってらっしゃい。気をつけてね」
見送る美紀も、息子が元気なのは嬉しい。勇斗はキャンプの後、学童に戻った。キャンプを通じて、同じ学年の子たちと仲良くなったのだ。その中には、岩田兄弟も含まれていた。岩田兄弟は、ひとりでぽつんとしている勇斗を仲間に入れようとしていたらしい。同じ保育園のよしみで仲良くしなさい、という母の命令に従っていたのだが、言われてやってたことなので、どうしても気持ちが入っていない。それで、勇斗をぞんざいに扱っていたのだが、キャンプを通じて勇斗のことを見直したようだ。勇斗も自分の意見をちゃんと言えるようになったので、サッカーをやりたくない時は「やりたくない」と伝えられるようになった。それで、気持ちが楽になったのだろう。
一方和也の方も、自分のやりたいことが見えてきた、と言う。
「俺、武蔵野とか多摩あたり限定の人材サービスの仕事をやるよ」
「武蔵野や多摩限定?」
美紀は問い返す。それまで和也が言っていたこととはまったく違うことだった。
「二十三区内ではなく、その西のあたり。だいたい吉祥寺から立川くらいまでの範囲。調布とか府中あたりも入れようと思う」
「それで大丈夫? それだと大手の企業は少ないよね」
最初和也はいままで勤めていた大手住宅メーカーの経験を生かして、住宅関連の人材サービスをやりたい、と言っていた。それもあって、事務所を借りるのも都心に固執していたのだ。
「大手でなくてもこの辺にはいい企業もあるし、そういうところをきちんと紹介する方が、自分にとってもやりがいがあるんじゃないかと思う。大企業なら、どこの人材サービスでも取り扱いたい案件だけど、俺みたいな個人の会社なら地元密着の中小企業の方がいいと思うんだ。小回りがきくし、地元の繋がりで仕事を作っていけると思うし」
「それはそうかもしれないね」
「いま通っている創業支援センターの中に、レンタルオフィスがあるんだ。地元に貢献する仕事を創業するのであれば、そこが借りられる。敷金礼金はいらないし、月額の支払いもふつうの賃料の半分以下。その住所で登記もできる。なによりうちからも近いから、勇斗が遊びに来ることもできるんだ」
「それは素敵。そうしてくれると助かるわ」
慣れてきたとは言え、勇斗だって学童に行きたくないこともあるだろう。そういう時、和也のところに行けるなら、親子ともども安心だ。
「ここなら地元の起業家との繋がりもできると思うし。三年契約だけど、その段階で軌道に乗っていたら、新しく物件を借りればいい。ダメなら家を事務所にするけど」
「なるほど」
和也の考え方がずいぶん堅実になった。創業セミナーのおかげだろうか。大きいビジネスにはなりそうにないが、うまく行けば堅実なビジネスになるだろう。もしうまくいかなかったとしても、初期投資やランニングコストが少ない分、ダメージも小さいし、方向転換もしやすいだろう。
「ちょうどいま、一部屋空きが出ているんで、募集が掛かっている。いいタイミングなんだけど、審査にちゃんと通るかどうか」
「審査?」
「創業支援センターは市の事業なんだ。だから、書類審査の後、面接もあるんだって」