夫、和也の起業準備が遅々として進まず、息子、勇斗も学童に戻れないまま。美紀にとって頭の痛いこの2つの問題が、岩田に誘われて親子で参加した学童の合同キャンプで、一気に解決の方向に動き始めた。

【これまでのお話】
第1話 『野櫻家の選択』連載小説スタート!
第2話 あの時転職を決断した自分を褒めてやりたい
第3話 保育園の卒園式の朝、着物持参で義母が…
第4話 苦手な岩田と卒園後も付き合い続くと思うと…
第5話 入学式直前の美紀に部下からトラブル報告
第6話 それって職場いじめなんじゃない!
第7話 あの2人を組ませるのfはまずいのでは?
第8話 共働きの危機? 夫と子から同時重大報告
第9話 上司に部署で罵倒され、退職・起業を決意
第10話 和也の専業主夫モードで夫婦関係ゆがみ始めた
第11話 夫のための起業本探す姿を部下に見られた

『野櫻家の選択』 主な登場人物

◆野櫻美紀(のざくら みき) 三十六歳/大手人材会社の営業企画部に所属。夫とは学生時代のゼミで知り合った。明るく前向き、大雑把。マイペース
◆野櫻和也(のざくら かずや) 三十七歳/大手住宅メーカーの人事部に在籍。おおらかで人当りが良さそうに見えて、実は神経質で小心
◆野櫻勇斗 (のざくら はやと) 六歳/保育園年長クラス。早生まれで小柄。性格は父親に似ておだやかで争いごとは嫌い

ここで立ち止まったら、また元の主夫業生活に戻りそうだ

 結局、和也が選んだのは、四谷駅から徒歩七分のところにあるシェアオフィスだった。コンシェルジュサービスがあり、会議室や打ち合わせスペースもある。もちろん登記も可能だ。光熱費や水道代も込みで月額八万。管理費は別に一万八千円。オープンスペースのデスクを使うとか半個室のブースならもっと安価なのだが、和也が望んだのは小さな個室タイプのものである。「個室でなければ嫌」と、そこだけは譲らない。

「仕事柄、個室でないと顧客の情報を守れないから」

 言われてみればもっともである。資料なども置きっぱなしにできないし、個室でないと顧客にも信用されないだろう。

「だけど、広さの割に、ちょっと値段高すぎない? 窓もないし、息苦しいと思うけど」

 パンフレットに個室の写真が映っている。自分なら閉じ込められる気がして落ち着かないだろう。大きな窓のあるオープンスペースの方が、仕事しやすいと思う。

「俺は全然平気。狭い方が落ち着くよ。仕事にも集中できると思う」

「まあ、和也がいいならそれでいいけど」

 美紀はパンフレットにある保証金の額を見ていた。最初に二十万。什器などを揃えなくてもいいので、初期投資としては安上がりと考えるべきだろうか。

「明日の土曜日にいっしょに見に行って、美紀ちゃんもいいと思ったら、その場で『契約したい』と不動産屋に返事をするけど、いいかな?」

 人気物件だから、早くしないと塞がってしまう、と不動産屋には言われたらしい。そんな風に客を急かすのは、あまり誠実なところという気がしない。

「ん、まあ、そうね。それもいいかもね」

 それでも和也が乗り気になっているなら、契約を進めてもいい。事務所が決まれば、嫌でも起業について進めなければならない。和也は気分屋なので、ここで立ち止まったら、また元ののんびりした主夫業生活に戻りそうだ。

「とにかく、明日見てみなきゃね。勇斗も連れて、ついでにちょっと足を延ばして後楽園遊園地でも行ってみようか」

「あ、そうだ、勇斗の件」

 和也がはっとした顔をする。

「勇斗の件がどうしたの?」

「俺が四谷に通うようになったら、勇斗は放課後どうすればいいんだろう?」