就業時間中、会社近くの書店で、夫のための起業本を探している最中に、部下の御前崎と鉢合わせ。「会社を辞めて起業するらしい」という噂を立てられたくない一心で、つい余計なことまでしゃべり過ぎてしまい…。

【これまでのお話】
第1話 『野櫻家の選択』連載小説スタート!
第2話 あの時転職を決断した自分を褒めてやりたい
第3話 保育園の卒園式の朝、着物持参で義母が…
第4話 苦手な岩田と卒園後も付き合い続くと思うと…
第5話 入学式直前の美紀に部下からトラブル報告
第6話 それって職場いじめなんじゃない!
第7話 あの2人を組ませるのfはまずいのでは?
第8話 共働きの危機? 夫と子から同時重大報告
第9話 上司に部署で罵倒され、退職・起業を決意
第10話 和也の専業主夫モードで夫婦関係ゆがみ始めた

『野櫻家の選択』 主な登場人物

◆野櫻美紀(のざくら みき) 三十六歳/大手人材会社の営業企画部に所属。夫とは学生時代のゼミで知り合った。明るく前向き、大雑把。マイペース
◆野櫻和也(のざくら かずや) 三十七歳/大手住宅メーカーの人事部に在籍。おおらかで人当りが良さそうに見えて、実は神経質で小心
◆野櫻勇斗 (のざくら はやと) 六歳/保育園年長クラス。早生まれで小柄。性格は父親に似ておだやかで争いごとは嫌い

やっぱりしゃべりすぎた

「あれ、野櫻さん、資料探しですか?」

 突然、声を掛けられて、美紀は思わず両手いっぱいに持っていた本を落としそうになった。

「御前崎くんこそ、どうしてここに?」

 声を掛けて来たのは、部下の御前崎だ。ここは会社の近くの大きな書店だ。会社の人間がいても不思議じゃないが、まさか御前崎に会うとは思わなかった。およそ読書に興味なさそうな男なのに。

「俺、人と待ち合わせするとき、いつもここにするんです。喫茶店もあるし、静かだから」

 美紀は体を本棚に押し付けて、落ちそうになった本を支えている。打ち合わせの帰りに本屋に寄って、和也の役に立ちそうな本を探していたのである。

「大丈夫ですか?」

 御前崎が落ちそうになった本を支え、美紀の体勢が整うのを助けた。

「ええ、まあ、なんとか」

 そう言いながら、困ったなと内心美紀は思っていた。持っているのは『起業のために必要な7つの条件』『起業する人へ』『起業マニュアル』といった起業のためのノウハウ本である。タイトルを見て、御前崎が驚いた顔になる。

「すごい、起業の本ばっかり。まさか野櫻さん、起業するつもりじゃないですよね?」

「いやいや、私はしないわ。会社の仕事に満足しているもの」

 そう弁解するものの、御前崎は訝し気にこちらを見ている。

「私じゃなくて、夫の方。会社を辞めて起業するって言ってるの。だから、私もちょっとは勉強した方がいいかと思って」

 言いたくなかったが、説明しないとあることないこと噂を立てられそうである。

「へー、野櫻さんのだんなさん、大手の住宅会社でしたよね。なのに辞めるっていうんですか?」

「まあね、私も続けてくれた方がいいと思うんだけど、人事から慣れない営業に飛ばされて、おまけに人間関係も悪いらしくて」

 就業時間中に私用の本を探していたことが後ろめたくて、美紀はついくどくどしく説明してしまう。

「人事から営業って、なかなかハードですね。気持ちわかりますよ。俺も営業に行けって言われたら、会社辞めるかもしれない」

 御前崎に言われて、なぜか美紀はほっとする。御前崎が賛同してくれたからといって、うまくいくとは限らないのだが。

「起業ってどんな仕事をやるんですか? 人事関係だと人材サービス業とか?」

 御前崎はへんに勘がいい。そして、詮索好きだ。

「まあ、そんなところね」

 やっぱりしゃべりすぎた、と美紀は後悔する。