自宅待機となってからもしばらくの間、ぼくは家族の前で、「働いているふり」をしていました。本当は朝の1~2時間仕事をすれば十分足りる程度。だけど、何とか一日中働いている様子を演出しようと、パソコンを開いて、朝から何かと仕事をしているふりをしていたんです。

 実は、こうした「ふり」をしたのは、今回が初めてではありません。会社を起業したばかりの頃も、わざわざスーツを着て、子どもを保育園に送迎していた時期がありました。スーツを着ていないと社会人として見られないんじゃないかという思いもあり、「あのパパって何の仕事している人なんだろうね?」と、保育士さんやまわりの親御さんたちに思われたくなかったのです。自分でもよく分かりませんが、ぼくの中には、「男は仕事をしてこそなんぼ」といった、ジェンダーバイアスが根強くあるのだと思います。

 結局そのときには、送迎だけでもけっこう服が汚れることが分かり、すぐに私服で送迎するようになりました。しかし、後になって担任の先生から聞いたところによると、やっぱり「あのパパ、何している人?」と、クラスの子どもたちから聞かれていたそうです。

1日が長い……。一人時間が全くない生活に耐えられず

 とはいえ、いつまでも「仕事をしているふり」を続けているわけにはいきません。その後は、両親学級のみオンラインで再開することになり、徐々に仕事を再開しましたが、それでも、自宅に缶詰め状態はきつかったですね。これは、妻も同じだと思いますが、何より耐えられなかったのは、「一人の時間」が全くなくなってしまったことです。

 何とか少しでも一人の時間を確保しようと、「話しかけるな」オーラを全開にして読書をしたこともありました。ですが、そんなパフォーマンス、家族には全く通用しません。子どもたちは膝にのってくるし、妻からはちょくちょく「ねえ、今日のお昼ご飯さ……」などと話しかけられました。

 生活ががらりと変わったのは、3歳の末娘を公園に連れていく係になってからです。私たち夫婦には、ぼくが保育園、妻が小学校、というなんとなくの役割分担があります。そこで、「公園に行きたい!」とひっきりなしに言っていた末娘を連れて、朝食後と昼食後、夕方の1日3回、人のあまりいない近所の公園に行って遊ばせるようになりました。その間、妻は、上の子の学校の宿題を手伝ってくれていました。生活のリズムができて、充実感を得られるようになりました。