いつも子どもや仕事、家族のことを優先しているうちに、「自分が本当にしたいことって何だろう?」と分からなくなってしまうことはありませんか。この連載では、2021年6月の人気記事「月20万のシッター代かけても、私が自尊心を優先させた訳」の執筆者で、「フツーとは違うけれど、自分なりの幸福」を追求する文筆家&フリーライターの秋カヲリさんが、妻であり母であり、そして、一人の大人として悩み、感じてきたことを赤裸々に語ります。3回目の今回は、秋さんが「黒歴史」と語る会社員時代を経て、社会人として、母として成長していった経緯を振り返ります。努力至上主義から卒業して、苦手なことより得意なことに目を向け、等身大の自分で生きていく覚悟と、子育てにおいて子どもに繰り返し伝えていることについて語ってもらいました。

「会社員ができない」理由は、努力不足ではなかった

 よく「子育てしながらフリーランスでバリバリ働いていてすごいね」と言われる。確かに同じ年代のなかでは稼いでいるほうだし、出産してからもほぼ毎日働いている。しかし“普通”の会社員のすごさを私は知っている。フリーランスになる前の会社員時代は失敗続きで、深刻な問題児だったからだ。

 よくインタビューなどで優秀な人たちが過去の失敗談を語るが、私の失敗はそれとは比べられないほどひどい。30歳になり、自分が発達障害とパーソナリティー障害のグレーゾーンにいることを知ったときは、努力不足が原因ではなかったのか、とほっとした。それまでは「人並みに努力できない自分はダメな奴だ」と劣等感を抱いてきた。

 発達障害(ここでは、注意欠如・多動症「ADHD」)には、「気分の波の激しさ」「あとさき考えず行動する衝動性」、パーソナリティー障害には、「自分へのこだわりの強さ」「他人への過度な期待・依存による対人関係の不安定さ」「ありあまる承認欲求」などがあると言われている。でも、それが社会人生活に実際、どう影響しているかを知る機会はそうないかもしれない。

 これは、会社員の適性もなければ社会人経験もなかった新卒社員時代に“かなりヤバい奴”だった頃の私の、黒歴史の特大エピソードだ。

超「扱いにくかった社員」時代の奇行の数々

 社会人1年目、新卒入社した営業会社に適応できず、1年で退職することになった私は、最後の営業目標を達成して有終の美を飾ろうとした。退職は、一般的には、先輩や上司に相談した上で決めるのだろうが、当時の私は違った。上司にまったく相談せず退職時期を決めたため、退職の意思を伝えるなり「もう来なくていいから」と言い渡された。

 「どうせ辞めるんだし、まあいいか」と思えればよかった。しかし、うまく立ち回れないのは、ADHDやパーソナリティー障害の生きづらさの一つで、あろうことか私は、「絶対に営業目標を達成してから辞めたいので、月末まで出社します」と食い下がった。当時の上司は「辞める奴に新規案件なんて取ってこられても迷惑なんだよ」と言った。今思えばごもっともな一言だが、私は、「なんでですか!」と号泣し、激しい口論を2時間も繰り広げた。

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