確固たる安定なんてない時代

―― 2019年の2月に東芝を退社されました。新たなキャリアに挑戦したいと思いつつ、なかなか踏み出せない人は少なくありません。廣瀬さんに迷いや不安はなかったのでしょうか。

廣瀬 それはなかった。むしろ、今辞めないでいつ辞めるんだ、と思いました。不安ということで言うなら、素晴らしい大企業にずっといることが、本当に安定なのかどうか。今は確固たる安定なんてない時代ですよね。

 それからもう1つ、東芝はすごくいい人たちが集まって、着実なビジネスをしてきた大企業です。ただ、自分の生きていくスタイルとは乖離(かいり)があるな、と感じていたこと。だから、東芝にずっといることはないとは前から思っていたんです。

 中にいる人たちはメッチャよかったし、みんなラグビー部を愛してくれて、ホントに大好きな会社です。でも、僕には僕の生き方があった、ということだと思います。

―― 先日、ラグビートップリーグのリコーブラックラムズの選手たちに人材育成講義をされました。その中でも「ラグビー人生はいつかは終わる。会社とラグビーのほかに、もう1つ軸があるといい」というお話をしていましたね。

廣瀬 選手生活の終わりは突然やってきます。そのとき「ラグビー以外分かりません」では通用しません。グラウンドの中でも外でも、「自分はこんなことがやりたい」「こんなことで貢献したい」という思いを見つけて、口に出して言えるようになったらカッコイイよ、と選手たちに話しました。

 最終的には自分がどんな人間になりたいか、だと思うんです。1という数字に1.01を掛け続けたら成長していきますが、0.99を掛け続けたらシュリンクしていく。たった0.01の違いで、人生は大きく変わる。自分が選んだ世界をどうやって良い世界にするのか、そのためのアクションを考えて行動できるようになってほしいと伝えました。

―― 東芝を退社後、新しい会社を設立されました。

廣瀬 教育事業などを手掛けるHiRAKUという会社を設立しました。いくつかの構想がありますが、1つはリーダーシップ教育をやりたいです。それからラグビースポーツアカデミーを創設して、子どもたちにラグビーを普及させる活動も行いたい。

 MBAという学びへの不安はあったけれど、あのとき一歩踏み出したから今があります。いろいろな人を開かせて、自分自身も開きながら、新しいことを新しい仲間と一緒に生み出していければいいですね。

―― 後編はリーダーシップ論や廣瀬さん自身の子育てについて伺います。

セカンドキャリアについて語るラグビー元日本代表キャプテンの廣瀬俊朗さん

構成/平林理恵 写真/小野さやか



廣瀬俊朗(ひろせ・としあき)
HiRAKU代表
廣瀬俊朗(ひろせ・としあき) 1981年大阪府生まれ。5歳でラグビーを始め、99年度U19代表、高校日本代表に選出。慶応大学を経て2004年に東芝入社、07年主将就任。07年に日本代表選出、12年キャプテン就任。15年ラグビーW杯での3勝に貢献する。16年に引退、19年2月に東芝を退社、9月にビジネス・ブレークスルー(BBT)大学大学院にてMBA取得。ドラマ『ノーサイド・ゲーム』(TBS系列)に出演。W杯日本大会では、出場国の国歌を歌って歓迎する「スクラムユニゾン」を提唱した。