「自分にとっての幸せ」は、人それぞれ違う
―― 平田さんご自身はどんな経緯でフリーのPRプランナーになったのですか?
平田 私のキャリアも、成り行きなんです。大学卒業後、ベンチャーのPR会社に勤めていたんですが、研究者を目指して大学院の修士課程へ。JBCCというビジネススクールのコンペ大会を立ち上げたことがきっかけで、博士課程への進学後は学生をしながら大学職員として広報もやっていました。
ところが在学中に妊娠し、その後は一度専業主婦になります。理由の1つは、子どもが想像以上にかわいくて、子育てがすごく楽しかったこと。もう1つは、卵巣がんの疑いを病院で宣告されたことです。片方の卵巣を切除し、今では全然心配いらないんですが、あのときは「家族との時間こそ大事」と考え、仕事も大学院もスパッと辞めました。
専業主婦生活はとても楽しくて、子どもとの時間を満喫しましたが、しばらくするとやはり働きたくなったんです。一人目を無認可保育所に預けて復帰し、その後二人目を出産。このときは、抱っこひもで仕事先に連れていく「カンガルーワーク」を1年間続けました。今では広報を専門にしながら、フリーランスや副業をする方のための環境整備を行う団体、プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会の代表理事も務めています。
行き当たりばったりですが、目の前の仕事はきちんとやって、クライアントの期待に応え続けてきたという自負はあります。渦中のときは分かっていませんでしたが、専業主婦だった期間は、次にジャンプするためにしゃがんでいた時期だったのかもしれません。
協会の代表理事というとなんだか偉そうな感じですが、これも、普段から感じていた疑問や課題をなんとかしたい、という話でフリーランス仲間と盛り上がった流れで、勝手な使命感と勢いで動いただけです。私も含めて、事務局メンバーは皆ボランティアで運営しています。
スティーブ・ジョブズは「connecting the dots」と言いました。点と点はつながる。後ろを振り返ったら、そこには自分しか通ってきていない道ができているはず。それこそが、その人のユニークネスであり強みなのではないでしょうか。
「自分にとっての幸せ」は、人それぞれ違います。その答えは、日経DUALにも載っていないかもしれません。まずは目の前の仕事を「自分の作品」と思って、自分ならではの付加価値をプラスするイメージで前向きに取り組んでみてはどうでしょうか。そのことから、何かが見えてくると思います。
―― 次回からは、子育てをしながら「キャリア自立」を目指し、前向きにキャリアチェンジをした人のストーリーをお届けします。
文/平林理恵 写真/洞澤佐智子 イメージカット/PIXTA
