長女の発表会に間に合わなかった

 罪悪感を感じたのは、もちろんこれが初めてではありません。

 2018年10月、インドネシア・パルで起きた津波の取材に行ってほしいと連絡があったのは、義理の両親と一緒にバリに休暇に行っていた最終日でした。私は翌朝、家族を置いてバリからパルへと移動しました。

 「明日の朝みんなで飛行機でシンガポールに帰ろうね」と約束していたのに、起きたらママがいないと泣く子どもたち。空港からテレビ電話で子どもにたちに報告しました。

 パルは空港も被災していたため、マッカーサールから30時間の車移動で被災地に入り、丸一週間、シャワーを浴びるどころか、プールサイドで寝袋に入って野宿。でもそれ以上につらかったのは、インターネットがつながりづらく、子どもたちと話せないことでした。

 そしてこの時、娘の学校の、年に一度の発表会を見逃してしまうことになったのです

 数カ月間、毎晩一緒にせりふを練習していたのに、帰りたくても飛行機がなくて帰れない。

被災したインドネシアで取材
被災したインドネシアで取材

 現場にいた先輩記者たちには、「子どもも親もいずれ慣れるよ」と言われました。それでも帰りの車で涙が止まらなかった。

 夫から送られてきた発表会の写真には、人前に立つことが苦手で、固まってしまった娘の顔が写っていました。私がそこにいたら、頑張れって声をかけてあげられたのに。帰ったら、娘に「ごめんね」と謝ろうと思っていました。