最初の年は保育園に40カ所落ちた

 子どもが産まれたのは2年前の5月で、その年の11月に翌年4月入園の認可保育所の申し込みをしました。規定の書類のほかに、各出版社の担当者に、「柚木さんの子どもを保育園に入れてください」っていう「嘆願書」を書いてもらい、束にして提出しました。まあ効果はないと言われたんですけど、必死だったんです。認可保育所への申し込みとは別に、認証や認可外の園にも次々に申し込みをしました。結果は、40カ所落選。あ~、これが地獄ってやつか……と思いました。

 最終的には、新設の無認可園に入れていただけたんですが、ここは、まだ施設の完成前に、近所をフラフラ歩いていて偶然発見したんです。近所の青果店の方に、「あそこにできるの、保育園じゃない?」と言われて、その場で建物に行って、そこにいた人に「すみません、ここ保育園ですか?」って聞きました。「まだ募集前だから」と断られたけれど、頼み込んで無理やりエントリーしておいたんです。

 こんなにまでしないと働くことができないのか、とがくぜんとしました。世の中から「おまえ自由業だろう、子どもは家でみてろよ」と言われている気がした。そんなもんなんですよ、作家なんて。

 『マジカルグランマ』は週刊誌の連載をまとめたものなのですが、執筆依頼を受けたのはまだ出産前でした。思えば、このときはまだ、子育てをしつつ、取材をして、締め切りまでに原稿を書き上げるということの大変さが具体的にイメージできていませんでした。

出産後、初めて書いた小説『マジカルグランマ』は、直木賞候補作に