1月、2月は中学受験の時期。作家の柚木麻子さんも、中学受験経験者の一人です。2021年秋、5年の構想期間を経て書き上げた新刊『らんたん』は柚木さんの母校・恵泉女学園が舞台です。創立した河井道と彼女を生涯にわたって支え続けた一色ゆり、そして、道の人生と交差する津田梅子、平塚らいてう、山川菊栄、広岡浅子、村岡花子……。彼女たちが駆け抜けた明治・大正・昭和の女子学校教育の黎明(れいめい)期を生き生きと描く大河小説。柚木さんに、作品についての話や、自身の中学生活、志望校選びのアドバイスなどについて聞きました。

志望校選びの際には学校の「物語」も見る

 『らんたん』の舞台は明治期の女子学校教育の黎明期です。そこを描くために、母校の恵泉だけでなく、津田塾、東洋英和など、たくさんの学校について調べました。

 明治時代の天才的なパイオニアだった津田梅子は、女性が留学する道を開き、女子英学塾(現・津田塾大学)というエリートのための学校をつくりました。

 一方、女子英学塾でしばらく講師をしていた河井道は、理由は詳しくは分からないのですが、おそらくは津田梅子の突出した能力を研ぎ澄まそうとする教育方針と相入れない部分があったのか、女子英学塾を去ります。そして、自分が経験してきたことをシェアしようという精神で設立したのが恵泉女学園でした

 いろいろな学校の歴史を見ると、建学の精神や学校が生まれた経緯、資金の出所などはさまざまですが、それぞれにつくった人の思いがあり、物語があります。そして、学校が醸し出す文化や価値観は、そこで学ぶ子どもたちに着実に受け継がれていくと思います。

 子どもが中学受験を考える場合、親は志望校を選ぶために学校情報を集めるでしょう。施設や設備、卒業生の進学先、塾の模試での偏差値などいろいろな情報があふれていますが、学校のなりたちや歴史をひもといて、創設者の設立の思いや、学校が生まれた背景、物語を知ることは、校風を知るためにはとても役立ちますし、大切ではないでしょうか。

作家の柚木麻子さん
作家の柚木麻子さん

「河井道の生涯を追いたい」が出発点

 『らんたん』を書くきっかけとなったのは、2018年から雑誌に連載を始めた『マジカルグランマ』です。自宅をお化け屋敷に改造して生活費を捻出するおばあさんの物語を思いついたとき、その舞台になるお屋敷のモデルとして真っ先にイメージしたのが、母校・恵泉女学園のすぐそばに建つ一色邸でした。一色邸は、私と同世代の恵泉生なら誰もが知っている有名な豪邸で、昭和初期に建てられたゴシック風のすてきな洋館です。『マジカルグランマ』を書く時点で建物はすでに取り壊されていたのですが、事情を話したら、一色家の方からお屋敷の図面を貸していただきました。なお、お屋敷にお住まいだった一色義子先生は恩師です。

 その図面は見れば見るほど不思議でした。昭和初期の建物とは思えない広々としたキッチンとゲストルーム。一方で、日本間も茶室も備え、なぜか、西洋風のバスルームがいくつもある。通路が入り組んでいて配置もなんだか変。これはどういうつもりで建てられたんだろう?

 聞けば、一色邸は義子先生のご両親だった実業家の一色乕児(とらじ)さんとゆりさんが、ゆりさんの友達の道先生を支えるために建てた家ということ。学校の補助的施設として、この家で留学生の料理教室を開いたり、海外からの来賓をもてなしたり。学園になにかあるたびに増改築を繰り返し、戦後はGHQの接収を避けるために宿泊施設として使えるようにもしたのだとか。でも、いくら仲がよかったとはいえ、友達を支えるために他人がここまでやるものなのか

 さらに驚いたことには、恵泉女学園を創立したとき、道先生はほとんど無一文だったのに、身近な人たちからの寄付が集まり、学園はその後どんどん発展していくのです。一色夫妻だけでなく、周囲のみんなからもサポートを引き出してしまう河井道とは、いったいどんな人だったんだろう。その生涯を知りたい、形にしたいと考えた私は、母校の史料室に通うようになりました。

次ページから読める内容

  • 道に突出していた「周りの巻き込み力」
  • 母校で身に付いたリベラリズムや女性の自立の姿勢

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