仕事をしながらの妊娠生活、出産、育休中の過ごし方は十人十色です。「これが正解」というものはありませんが、いざ妊娠・出産となったときに備えて心づもりはしておきたいもの。身近な共働きママたちのリアルな声をお届けする連載3回目は、東京の大学病院看護師から小笠原諸島に移住していったん専業主婦となり、今は再び現地で看護師として働く阿部美鈴さんに話を聞きました。

子どもが生まれるたび、ライフステージを変えてきた阿部さんは、5回の出産でそれぞれ里帰り出産、大学病院での出産、助産院での出産、自宅出産など、さまざまな出産を経験してきました。阿部さんが語る「幸せな出産」とは、どういうものでしょうか?

阿部美鈴さん
小笠原諸島の介護施設で看護師として働く5人の子のママ。東京都内の大学病院で働き、第1子を里帰り出産後、職場の病院で次男を出産。その後は、子どもたちを立ち会わせたい一心で、助産院、自宅での出産を経験。現在は小学5年生の次男、小学3年生の長女、保育園年長の三男、3歳の次女の4人の子と共に小笠原諸島で暮らしている。

新しい命の誕生を家族全員で祝える出産にしたかった

 私には5人の子どもがいて、それぞれ異なるスタイルで出産しました。1人目は里帰り出産、2人目は自分の働く病院で。3人目と5人目は助産院で4人目は自宅出産です。ですが、私がこだわってきたのは「出産スタイル」ではありません。「新たな命が誕生する瞬間、きょうだいたちを立ち会わせてあげたい、家族全員でその瞬間を一緒に祝いたい」。ただただ、その思いだったのです。

東京の大学病院で第2子を出産した際、分娩室のある廊下をのぞき込む長男の様子
東京の大学病院で第2子を出産した際、分娩室のある廊下をのぞき込む長男の様子

 きっかけは、第2子出産時に、長男を立ち会わせてあげられなかったことです。院内感染を予防する意図があるのは、私も看護師だからよく分かります。ただ、その時、ガラス越しに一生懸命に分娩室の中を見ている長男の写真(上画像)を後から見て、何とも言えない気持ちになりました。「家族なのに、なんで会えないんだろう?」と違和感を覚えたのです。「もう2度と子どもだけ締め出されて寂しい思いをさせるようなことは繰り返したくない」と、強く思いました

わが家にとって、助産院での出産は正解だった

 第3子の出産を助産院にしたのは、たまたま、助産院で働くママ友が身近にいたためです。「助産院では、きょうだいや家族を普通に立ち会わせることができる」と聞き、病院以外での出産を決めました。結論から言うと、大正解でしたね。アットホームで、心から安心できる環境で出産することができました。

第3子を助産院で出産したときの様子
第3子を助産院で出産したときの様子

 助産院では、委託医の下、正常分娩に伴う医療行為のみ許されています。そのため、助産師さんたちが、医療に頼らず安全に出産させるためのさまざまな知恵やスキルを蓄積しているように感じました。体を冷やさないこと、逆子になったときの工夫、お母さんの体と心を何より大切にすることなど……どれも目からうろこでした。中でも、私が最も驚いたのは、会陰切開をしなくても会陰が裂けなかったことです。

 助産師さんのサポートで呼吸を使っていきみ逃しをして、会陰がまぶたぐらいに薄く柔らかくなるまで待つと、切らなくても、つるんと赤ちゃんが生まれてきました。しかもその際には、自分の手で赤ちゃんを取り上げられるようサポートしてくれたのです。