「失われたとき」を嘆き続けるのではなく、前に進む

 私の尊敬するフランスの友人の一人にレバノン出身者がいます。彼は母国の長い戦争を、幼年から多感な年齢まで経験しました(編集部注:レバノンでは1975年から90年にかけて断続的に内戦が発生)。多くの時間を地下で過ごしたため、ボードゲームなら負けないよと笑います。

 そんな彼は今、同年代の学校に通い続けたフランス人たちと変わりなく見えます。誇らしい職業に就いていて、素晴らしい精神性と彼ならではの哲学を持っています。彼の故郷ベイルートに遊びに行ったことがありますが、迎えてくれた彼の家族、友人たちも同じでした。私がそこで一番驚いたのは、彼らが「今を大切にどう生きるか」をよく知っていて、それを実行しているということでした。

 今回子どもたちは、普通ならできるはずだったことができなくなったり、楽しみにしていたことが失われたり、頑張り続けたことが実を結ばすフェードアウトしてしまったり……と、親が思う以上に傷付いています。そして親も、なんとなくどんよりしている子どもたちを、どうしてもふびんに思ってしまいます。

 「貴重な年ごろなのに」とか「この年齢は一生に一度しかないのに」と、話されることも多く、残念なことを数えたらきりがありません。気持ちの切り替えもなかなかできずに、重く引きずる毎日を過ごしてしまう人も多いと思います。けれど、皆で肩を落としても何にもなりません。

 「失われたとき」と思われる日々には、「失われなかったとき」を何気なく過ごしたのではもたらされることのない、偉大なメッセージとエネルギーのもとが隠れている気がしてなりません。この数カ月間学校へ行けないことが、私たちの子どもたちの人生に大きく作用するとしたら、それはマイナスにではなく、プラスである可能性は十分あります。そのために、私たち親は、子どもたちの意識のかじ取りをしなくてはならないでしょう。

 この厳しい特別な期間をフランス人やイタリア人は、独特のユーモアで、死が語られ続ける毎日を一瞬の笑いを持って乗り切ろうとしました。私たちには前向きに生きる性質があります。今こそ、それを最大限に発揮しましょう、子どもたちのために