学校再開には賛否両論の声

 政府が低年齢の再開を優先した理由は明確ではなく、小さな子どもを持つ親たちが働きに出やすいようにとの見方を多くのメディアがしています。

 幼い子どもは感染率が低いともいわれますが、この決定に「彼らが一番のベクター(ウイルスの運搬者)ではないのか 」「幼い子どもほど危険を理解せず規則を守りにくいはず」「学びを止めないためであれば中高生から再開すべきでは」「子どもにだってリスクはある」と、疑問や不信、不安の声が至る所から上がりました

 私自身も再開の決定を知ったとき、外出制限が精神的にきつくなっていたとはいえ、開校はまだ早いと感じ、自分の子どもを学校に行かせますか? と問われれば、言葉でなくただ首を横に振りたくなったのでした。

 けれどその数日後、私の考え方が変わったのです。保育園の看護師をしている友人イザベルから電話が鳴り「今朝特別な会議があって帰宅中なのだけれど、あと50メートルほどでアコのアパルトマンの下を通るの。ちょっと下りてきて顔を見せてくれない?」と言われ、門前で密会。久しぶりなのにフランスの習慣であるビズ(頬へのキス)もハグもないのがもどかしく、マスクをして1メートル離れたまま、時々ポリスがいないか確かめつつ、春の陽光を受け「やっぱり外は気持ち良いね」と30分ほど立ち話。そのときの彼女の言葉が響きました。

 「開校! いいことよ。もう子どもたちはリミット。良いことも悪いこともまだよく分からない子どもたちが2カ月以上、家の中だけでタブレット端末だけが友達なんて、これ以上続くと精神的な問題がどんどん起こってくるわ。良い親ばかりでもないしね。解放してあげないと。十分な注意を払う覚悟で!」

長引く外出制限で見えてきた、子どもたちの問題

 貧富の差の大きいフランスでは、満足に食べられない子どもたちも出てきています。フランスは一家の収入により子どもの給食費が決まるため、1ユーロ程で栄養士によるバランスのとれた給食を食べていた子どもたちが、今ではソースも具もないパスタや中身のないサンドイッチを頬張る日々に陥っているのです。子どもの多い移民の家族は狭い日陰のアパルトマンに詰め込まれて自主勉強どころではなく、悲鳴を上げる前に外に出てしまい、その地域では警察との衝突、感染の広がりが止まりません。また幼児虐待は、ウイルスのように私たちの目には見えずサイレンスを保ちながら増え続け、子どもたちの心身を痛め続けていると伝えられています。

 学校は勉強のためだけに存在しているのではないのです。今、わが家の眼下にある幼稚園から久しぶりに聞こえてくる子どもたちの笑い声やはしゃぐ声も、大いにそれを証明してくれています。

久しぶりに笑い声が聞こえてきた、わが家から垣間見える幼稚園の中庭。 地域や学校により細かいルールは違いますが、現在グループごとに1週間に2日ずつ開かれています
久しぶりに笑い声が聞こえてきた、わが家から垣間見える幼稚園の中庭。 地域や学校により細かいルールは違いますが、現在グループごとに1週間に2日ずつ開かれています

 フランスの学校には日本のように自分たちで校内を掃除する習慣がなく清掃員がいます。学校再開後は彼らが今まで以上に校内を清掃、消毒し、校内のすべての手洗い場にせっけんが置かれました。廊下や階段は擦れ違いざまにぶつからないよう、車道のように方向別に分けられ標識や矢印などが付きます。中学生からはマスク着用が義務付けられます。心のトラブルが見られる子どもには国による精神科医のサポートもあります。

 再開していない学校ではオンライン授業が続いています。オンライン授業は、ある生徒には、授業後に自分のペースで新しく学んだことを掘り起こせる充実した時間をもたらし、ある生徒には学びを簡単に放棄できるチャンスを与えてしまいました。しかし、外出制限時にオンライン以外の授業の可能性があったでしょうか。フランスは授業参観がないので、親たちにとっては子どもがどのように先生と接し勉強しているかを垣間見る、または聞く時間でもありました。

 オンライン学習をしたことによって私たちが学んだこともあります。勉学だけならオンラインで可能ですが、やはり学校は勉学のためだけに存在しているのではないということです。