昨年、育児・介護休業法の改正法が成立し、男性育休がより取得されやすくなりました。かつての「ママのワンオペ」が当たり前のように見られた時代から、少しずつですが、着実に「パパが主体的に育児する」時代へと歩みを進めています。

新型コロナウイルス下で働き方も見直され、それぞれの家庭が自分たちに合った家族の在り方を追究するようになりました。そんな多様化するパパやその家族の今に迫る本連載。今回は、金融系企業で働く田上寛さんの、妻と楽しく暮らしていくための努力の中で感じた苦悩と気づきについてご紹介します。

■今回のパパ
田上寛さん(仮名) 39歳
会社員(金融系企業)

■家族構成
妻 40歳 公務員(小学校教諭)
長女6歳 次女2歳

「自分より輝いて見えた」妻と過ごすために転職

 高校生のとき、大好きだったスノーボードをニュージーランドでしてみたいという思いが高まり、1人で留学したという田上さん。そこで得た経験から価値観が広がり、外向的な性格になったそうです。

 大学では、海外インターンシップを推奨するグローバルな活動をするサークルに入ります。そのサークルで出会った先輩が、現在の妻でした。

 「感じていること、考えていることは言葉にしないと伝わらない」という価値観が共通していて、卒業後に交際をスタート。金融系の大手企業に入社し、転勤を繰り返す中でも遠距離恋愛を続け、結婚します。しかし、新婚1年目は沖縄に赴任していたため、埼玉の実家で暮らす妻とは別居婚だったそうです。

 ある日、「もし明日死んだら、自分は何を後悔するだろう?」と考えた田上さん。それは、愛する妻とともに暮らせていないことだと気づき、転職を決意。都内のベンチャー企業に入社し、ようやく一緒に過ごせるようになりました。妻を沖縄に呼び寄せるという選択肢は考えなかったといいます。

 「妻のほうが自分よりも仕事が好きだ、と感じたんです。妻は公立の小学校の先生をしているのですが、新卒ではなることができず、働きながら大学に通ってまで夢をかなえました。一方で自分が金融大手を選んだのは、どうしても就きたかった仕事というわけではなく、ここでキャリアを積めばそれなりの待遇が手に入るだろうという、どこか打算的な思いがあったからです。

 当時の自分は『仕事は、自分たちが暮らすために十分なお金を稼ぐためのライスワークである』というような考えを持っていました。そんな自分からすると、したいことに全力で取り組んでいる妻がまぶしく見えました。だから、自分が転職して妻のそばにいることを選んだんです」

写真はイメージ
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