はじめまして。くまゆうこと申します。

 誰もが一度はあるのではないでしょうか。いじめられている人を見て見ぬ振りをして、傍観者になった経験が。今でこそ、ネットいじめ対策専門家として、メディアに出たりしていますが、私自身、例外ではありません。

 私がいじめられずに済んだのは、臆病な性格だったから。空気を読み、いじめられないように立ち回ることができました。でも、その時から思っていたのです。私といじめられている子との違いは、紙一重だと。たまたま私はうまく立ち回って逃げることができただけ。ほんのちょっとの差で、自分もいじめられる側に立っていた可能性だってあるのです。

 いじめられる子はうまく立ち回れなかった。だからいじめられても仕方がなかったのでしょうか? いじめられる子にも問題があるという人もいます。本当にそうなんでしょうか? 私の中に、ずっと残っていた疑問でした。それこそ、「マモル」という「いじめ通報サービス事業」を創業するまで、長い間、私はその問いに苦しめられていました。

海外の「いじめ通報サービス」に可能性を見いだす

 「なぜ人は人を攻撃するのだろう。なぜいじめるのだろう。それを予防はできないのだろうか」。ずっと心に引っ掛かっていた問いと向き合うために、大学時代は犯罪の予防・対策などを研究するゼミを選びました。人が抱く感情、それが引き起こす犯罪、その予防に関心がありつつも、自分の興味と仕事と結びつける方法が分からず、結局、そのまま社会人になり大手IT会社で、ケータイ小説など、主に中高生向けのコンテンツをプロデュースする立場になりました。

 そうしてその問いに向き合うことに蓋をしていた時、海外で「いじめの通報サービス」が立ち上がったことを知りました。もしかしてこれなら、少しは傍観者を減らすことができるかもしれない、と希望を持ちました。今まで自分が抱き続けていた罪悪感を昇華させられるかもしれない、と期待が膨らみました。

ネットは怖くない。結局は人間がどう使うか

 ここ数年、ネットでの誹謗(ひぼう)中傷で自殺する人や追い詰められる人がいることが、社会的にも問題視されています。確かに私自身、ネットサービスに長く身を置いてきたため、恐ろしいほど陰湿な言葉を吐く人たちがいることは知っています。

 でも、同時にインターネットの可能性にも気づいたのです。インターネットは誰かの救いになりうる、と。ネット上で悩みを話すことで救われている人、SNSで交流することで第二の居場所を見つけている人、ケータイ小説に投稿して評価されることで希望を持てている人。ネットは、いじめられている子の“逃げ場”になっていると感じたこともありました。

 インターネットは、確かに人を傷つける手段になります。でも一方で、人を救う手段にもなりうるのです。

 そのプラスの事例を見たからこそ、私になら、インターネットを使っていじめを減らすことができるのではないかと考えました。もちろんゼロにするのはできません。でも被害者にとっても、傍観者でいたくない誰かにとっても、誰かの“逃げ場”をネットの世界につくり出したい。それが、私が40歳で一念発起して起業した理由です。

ネットの怖さを正しく知り、知識のアップデートを

 とはいえ、世の中を見渡すと、まだITリテラシーが高まっているとは思えません。ネットを必要以上に怖がり、わが子から遠ざけている人もいます。

 でも、時代を元に戻すことはできません。ITという便利なツールを手に入れてしまった私たちは、どう賢く使いこなすかを考えなければなりません。人を傷つけるのではなく、人を守る手段として利用してほしい。正しく理解しさえすれば、正しく使うことができます

 そのためには、まず知識のアップデートが必要です。新しいSNSツールが登場すれば、いじめの質や手段も変わります。だからこそ、多くの人に最新の「ネットいじめ」の状況をお伝えしたい。そこから、回避して解決する方法を見いだしてほしいと考えています。

 そうすればもしお子さんが悩んでいるときに、察してあげられる。もしくは、相談されたときに、回避する方法を一緒に考えられるかもしれません

 4月からスタートする本連載では、主に小学校低学年~高学年の事例の他、どのようにITリテラシーを高められるのか、そのヒントをいくつか紹介していきます。一人ひとりが、ネットの怖さを正しく知り、正しく使う。本連載が、その羅針盤として少しでも役に立てれば、筆者としてこんなにうれしいことはありません。

写真はイメージ
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※本連載は有料会員向けとなる予定です

語り/くまゆうこ 構成・文/児玉真悠子 イメージ写真/PIXTA