元フィギュアスケーターの中野友加里さん。最終回となる今回は、選手時代の華やかな表舞台から一転、テレビの制作現場という裏方の道に進んだフジテレビ時代の苦労や、そこで役立ったスケートの経験について聞きました。また、4歳の長男と3歳の長女の育児に奮闘しながら挑戦しているジャッジの資格試験の勉強、YouTuberデビューについてもお届けします。

【上編】中野友加里 スケートの道は母が切り開いてくれた
【中編】中野友加里 競技と学業の両立は自分自身の「意地」だった

憧れのテレビ局に入社 取材を受ける側からする側へ

 21年間の競技生活に別れを告げて、2010年4月にフジテレビに入社しました。最初に配属されたのは映画事業局で、アシスタントプロデューサーとして『踊る大捜査線』シリーズや『アンフェア the answer』を担当しました。仕事内容は映画の企画や撮影の立ち会い、映画が完成してからは宣伝活動など多岐にわたりました。

 当然ですが、職場で私をスケーターの中野友加里として扱う人はいません。私は新入社員の1人にすぎません。ダメ出しを受けることはしょっちゅうで、プライドはズタズタ。業界用語も分からず、1年目は右往左往していました。

 フィギュアスケートは自分ひとりの戦いで、ミスをすれば自分が責任を負うだけでしたが、会社はそうはいきません。これまでとは違う責任感の度合いに、プレッシャーも大きかったです。

 ただ、21年間スケートを続けてきて「一つのことを続けること」に関しては自信がありました。スケートから学んだ「途中で投げ出さず続けていくこと」が、社会人になって役立ったと思います。2年目になると仕事にも慣れて動けるようになり、多少戦力になったかなと思います。

 入社3年目にはスポーツ局に異動してADとして『すぽると!』というスポーツ番組を担当しました。ここでは、現場の取材はもちろん、スタジオでのカンペ出しやテロップ出し、編集作業なども行いました。その後、番組の予算管理をする部署へ。経理部のような数字とにらめっこの事務作業でしたが、大学時代に統計学を専攻していたこともあり、意外と性に合っていたようです。仕事が楽しくてやりがいも感じられました。

 プライベートでは2015年に結婚。妊娠が分かってからは「絶対にこの部署に戻ってきます!」と宣言して、産休に入る前から保育園を決めました。2016年8月に長男を出産、生後7カ月で同じ部署に復職しました。

息子が生まれて初めてスケートをしたときの写真(写真提供/中野さん)
息子が生まれて初めてスケートをしたときの写真(写真提供/中野さん)